2012年8月14日火曜日

2012年8月13日(月) 活動報告(南三陸町本浜)

くどいようですがジュンヤ@腰痛気味です。
13日からはReRootsがお盆休みなので、旧岡田サテライトに行くか南三陸に行くか迷いましたが、帰省した嫁を連れて南三陸に行ってきました。

この日も多くの人か来ていました。北海道からフェリーを使い、八戸から車で来た方や、長野から一人で泊りがけで来た方(車で30分くらいの場所の空手道場に素泊まり可能らしい)仙台から来た方も多かったです。

さて、作業内容は南三陸町本浜。ちょうど海のすぐそばの道の側溝の泥だしです。
車で移動できなくボラセンのワンボックスで移動のため、荷物など大変でした。(中心地のため駐車スペースはあるにしてもあまり台数多く止めるのはマズいようです)
大きな瓦礫は片付き、そのあと地面がだんだん見えてくる状態になり、やっと側溝掃除ができるようです。


蓋を上げるのは人力。去年石巻で使ったキャッチリフターがあると便利なのですが…。
一人でも何とか運べる重さですが、無理はせず二人で外します。
もちろんどこかに流されてしまったフタも多くあります。



フタを外すとヘドロが出てきました。久々の臭いです。
ヘドロの中から中身がピンク色っぽい袋も出てきました。久々のヤツです。
この地区は地盤が沈下してしまい、「満潮になると作業ができなくなるので時間勝負」とのことでした。実際、どんどん水かさが増してきて、作業終了時はもう少しであふれるくらいまで水位が上がってきました。

ヘドロをすくい、スコップで運び、空いている場所へ捨てる。
土嚢袋は使いません。効率が悪い感じがしたのでネコ車を使い、どんどんネコに泥を積み、
溜まったら捨てに行く、ということをしていたらみんなも気づきその方法が定着しました。
13名くらいでひたすら作業し、昼前にはひとまず予定していた側溝は完了。
「予想以上に早く作業が進んだ」らしいです。


今日は移動式トイレカー「ほっといれ」が別の現場に行っていたので女性のトイレはベイサイドアリーナに戻ることになりました。男性は例によって…ですが、遮蔽物が無く、なかなか場所が無かったです。

昼に道路の端で寝ていたら、フナ虫が肩によじ登ってきて起こしてくれました。ちょうど時間だったので助かりました。

午後は下の図の空き地の瓦礫撤去、そして空き地から水を出すように川を作ると言っていたのですが、潮が満ちてきたら泥だしした側溝伝いに逆に空き地に水が入ってしまいました。(写真中央部分)仕方ないので瓦礫を撤去して水の流れがスムーズにいくように周りを固める作業になりました。

どこでもそうですが、休憩後、みんな体がだるそうです。口数も少なくなります。

ところで仮設の水道管は夏でもキンキンなので、みんな乗って休憩。ひんやりして疲れた体を癒してくれます。

午後3時。作業終了。

まだ手つかずの側溝が相当あるようで、ここでも人手が不足しています。
瓦礫も細かいものはたくさんあり、最近は六種類に分別しなくてはならないようです。報道がされなくなり、ボランティアの数が減っているようです。次は生徒を引き連れて来たいなぁ。それからまたタノンティアメンバーでも行きたい!と思いました。


今回のあったほうがいいかもと思ったもの
〇部活などで使っている水筒(冷えた飲み物が飲めます氷は大きいのを入れておくと一日はとけない)
〇日陰を作るために簡易テント(2,000円くらいで売ってるもの)があると、休憩中顔を突っ込んで横になれます。日陰無いのは結構キツイです。
〇水分は3リットル。水筒に氷を入れて1リットル、凍らせた2リットルを溶かしながら水筒へ移すといいかも。
〇真水はありませんでした。一本あるといいかも。
〇クーラーボックスは便利。簡易的なものや、長さんが持っていたようなバッグのようなもの。
〇夏は暑いのでカッパだと蒸れて熱がこもります。ワークマンで夏の作業用のズボンを買ったら熱中症にはならなかったです。ワークショップに結構便利なものなどいろいろとありました。
麦わら帽子はヘドロの中に落としてしまったようです。

また休みを見つけて活動しに来たいと思います!

2012年8月13日月曜日

2012年8月11、12日(土日)活動報告(ReRoots)

引き続き、ジュンヤ@日焼け中です。 二日間、ReRootsに行ってきました。 土曜日は名取川のすぐそばの種次地区。日曜日は荒浜小学校の目の前のお墓のすぐ横の畑です。

土曜日はバスも来ていて団体で100名弱はいたでしょうか。 三つのグループにわかれての作業で、 自分の班は14名で作業。仙台ナンバーの車も多くなり、地元の方々も多くなってきました。 「ラーメン二郎仙台店」「センプラ」などの地元ネタがちょこちょこと耳に入ってくるのが心地よいです。

作業は雑草を抜くこと。写真だとあまり無いように見えて、「今日は楽なのか?」と思いきや…これが実は難儀です。 なんで手作業?と思うかもしれませんが、畑に瓦礫などが埋まっているため、耕運機などは入れられないそうです。雑草も機械でやろうとすると絡まってしまい故障の原因になるそうです。それに機械が流されてしまってあまり無いのも現状のようです。でも昔の人はこうやって畑を開墾して野菜を作っていたんだなぁ、としみじみと考えさせられます。 初日は終わるか終らないか…の瀬戸際でしたが、どうしてもこの日で作業を終わらせたい。というReRootsスタッフの思いがみんなに通じ、昼ご飯後、急ピッチで作業。ガツガツと雑草をむしり、なんとか終了させました。

Before
After
作業終了!!

ちなみにこの現場は1ヶ月半前にニーズが上がったようです。現在、2ヶ月先までびっしりとニーズが埋まっているくらいなので、本当に人手が欲しいとのことでした。 さて、二日目は例の朝礼をカットして深沼海岸へ。地元の方との海岸清掃です。 最近は海岸で花火などをして後片付けをしない輩もいるようです。

ゴミはそれほど落ちていませんでした。でも震災後にゴミを捨てていくなんて考えたら嫌な気分になる話です。 1時間ほどで終了の合図。最後、地元の方と全員で記念撮影をして終了。さすがに一人だけ例のタノンティアポーズはとれませんでした。

この日のメインはちょうど荒浜小学校とお墓の間のあたりの畑です。 以前にもやったようで、ちょっと残ってるなぁという感じで、昨日に比べたらやりやすいかな、と思いましたが、雑草が密集していました。

40名くらいで結構速く終わるかなと思いきや、人それぞれやり方が違うようで終了時刻ギリギリでした。 この日は広島の高校の生徒会の子達。(文化祭で発表をするそうです)引率の先生が一眼でバシバシと写真を撮っていました。一眼とスコップと…忙しそうでした。
畑からつるが伸びていたので掘ってみたら…
自然薯の小さいやつです。 後で食べようと置いといたらなくなってしまいました…

ところで雑草取りに絶大な威力を発揮したのは両刃鎌と言うやつで、これがあるのとないのでは大違いでした。

3時過ぎ、作業終了。日陰が無く本当に暑かった…

今日は車に乗せたK応とA山学院の高校生から色々と話をしました。どうしても被災地を見たいと、日帰りで新幹線でやってきたようです。そして岩手からの常連の方、などなど前に一緒に作業をした人達と顔を合わせることになって、話も盛り上がりました。

さて、本日の失敗ですが… 初日半袖で作業して変な日焼けになり、これじゃカッコ悪いと肩まで出てるシャツで作業をしたら火傷みたいになり、とんでもない痛さになっています。熱を持ち、パンパンになっていてまるで冷凍庫から出て中身がパンパンになった例のアレのようです。皆様も夏場は暑さとの戦いだと思うので気を付けてください。 明日は横浜から今日やってきた嫁を引き連れて再び南三陸です。

2012年8月11日土曜日

2012年8月10日(金)活動報告(南三陸志津川・竹川原地区)

おばんです。ジュンヤ@帰省中です。MLでも流しましたが、「初心忘るべからず」ということで南三陸に行ってきました。災害派遣車両証明も南三陸で取ったということもありますが…
イメージ的にニーズが少なく行っても仕事にありつけない。という感覚だったので、
気合を入れて6時に出て8時前に着きました。ベイサイドアリーナ周辺もだいぶ変わっていましたが、誰も待っていなかったので去年とは大違いです。ボラセンも色々と改善しているようでした。



打ち合わせです














結論から言うと、ボラセンのスタッフに聞いて確認したら
「9時まで行ってニーズから漏れることは100%無い」とのことでした。
本日は団体が幾つか来ていました。
桐生から高校生のボランティアバス二台。愛知県、みよし市からは社協が募集している団体。そして消防の方々。
個人ボランティアは30名くらいでしょうか。


仕事内容は瓦礫撤去。「竹川原」地区方面。(志津川の町に入る橋の横を曲がって行った所です。)大移動。

何グループかに分かれての仕事でしたが、今回の仕事内容は『基礎出し』と呼ばれるものでした。
家の基礎が埋まっているのを掘り起こす。という内容で、砂利などがあっても、基礎が見えればいいと言われましたが、下がもしコンクリートだったらその上の物は全て撤去するということです。
そこそこ広い家の基礎を大勢で掘り出します。

途中、大きなコンクリや瓦礫も出てきます。
バールで持ち上げたり、ハンマーでガツンとやって割ります。



ハンマーって意外と強力なんですね。分厚いコンクリも何回か叩くと砕けます。
日差しも照って、かなり暑い状態で、35分やって15分休憩というペースでの作業。
ボラセンの現場監督が笛を吹き、広範囲に聞こえるように知らせてくれます。
水分は3リットルペースです。それにしても日差しが天敵です。つば付きの帽子があった方がいいかな。と思いました。

トイレは男子は野ション。女性は移動式のトイレカーが常駐し、安全です。(このトラックにAEDも積んでありますので心肺停止などがあった時にはすぐに使える状態です)


人数が100人以上いたので、作業も効率よくやればすぐに基礎が出てきます。


午後に金属の板みたいな瓦礫が埋まっていたのを取ろうとしたら、その上にでかいコンクリの塊があり、それを取るのに一苦労し、さらにその金属もなが~く埋まっていて苦労しました。
大勢でやれば、いや、大勢じゃないとこの手の作業は厳しいと思われました。


3:30作業終了!最後、ビブスをボラセンに返却し終了です。
使った道具の手入れ、ビブスの洗濯など全て向こうのスタッフでやっていました。ご苦労様です。

一年前、多くのテントがあったアリーナ下の坂はひまわりで埋めつくされていました。









せっかくなのでテレビでも取り上げられていた『南三陸さんさん商店街』で散財しようと行ってみました。
なんと、あの『ちばのり屋』がここに。去年の2月に出来た時に移転したそうです。
ここは『さらっとしおのり』をお土産に。

きずのりはさすがに売り切れていました。

















最後の解散の時にボラセンの監督が言っていました。「一年経ってもこんな状態。
復興までまだまだ人出がいる。ぜひ来て欲しい。そして多くの人にこの現状を伝えて下さい」とのことでした。

大人数で『果たしてこれはやる意味あるのか?』と以前は疑問に思うこともありましたが、
大人数じゃないと厳しいこと、一人でもコツコツできること。
広い場所からモノをせっせと出す。石を取り除く。地道な作業ですが、やらないと進まないんだなぁ。と。前回の南相馬もそうでしたが、痛感しました。
去年広島から単身、車で来て石巻で三日間一緒に活動した森内さんが、ボランティア活動を『ハチドリのひとしずく』になぞらえていましたが、まさにその通りかもしれません。

南三陸ボランティア活動の様子(活動ブログがあるようです)
http://blog.goo.ne.jp/minamisanrikuvc/e/ac55738ac3a46b380afc9ac5608fd2a3


【タノンティア・サテライト番外編】

昨年行った長さんのご実家付近は…







濱Dさん達と雑草を抜いた境内は今も綺麗に整備されています!








志津川病院は解体されていましたが、合同庁舎はまだありました。やっぱり観光バスは来ていました。観光客も…
















さて、明日は若林区のReRootsです。



2012年7月30日月曜日

2012年7月28日(土)活動報告(福島県南相馬市原町区)

ジュンヤです。連日暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
さて、今回MLでも流されていましたが、飯塚君の車に便乗させてもらうことなり、福島の南相馬で活動している『復興浜団』に合流させてもらうことになりました。初めてなので緊張しつつも車内での飯塚君との〇〇トークがやたら盛り上がります。

12時前に茨城を出発し、常磐道~磐越道~東北道を経て、朝4時に南相馬、道の駅に到着・・・からの仮眠。

復興浜団の集合は9時。8時過ぎに起きてみるとなんとなくそれらしき人がうろうろし始めます。それにしても朝からかなり暑い。

9時に打ち合わせが始まり、20人くらいで移動。
特に細かい説明などたいして無く、『ついて行けばなんとかなる』と言う感じです。

着いたのは浜辺でした。ここで捜索活動をしてから…と言うのが流れのようです。

家が建っているすぐ向こうは海。冠水しているようです。

行方不明者の捜索活動は棒を持って砂浜を捜し歩きます。なんとかひとりでも多く見つけたいという一心でみんな砂浜を探しますが、見つからず。
11時半、本日の活動場所に移動。
海岸から車で数分のところです。(捜索活動をしたのは、262号線の右の浜です。)
大きな地図で見る

行ってみて驚いたのは、『一年前の状態だ…』と言うことです。ここは警戒区域が4月16日に解除されましたが、住民の方々は避難生活をしており、人は住んでいません。家主の方も群馬に避難されているようで、一ヶ月に数回しか戻ってこれないとのことでした。

家は屋根の瓦が散乱しており、大正時代に建てられた石蔵は無残に倒壊していました。この蔵の中に眠る金庫が気になるらしく、それをみんなで探します。





立派な屋根瓦、鬼瓦が無残に落ち、石蔵も倒壊して吹きさらし状態でした。チェーンソーなどを使い、どんどんと木材やら家財道具やらを片付けます。

それにしても休憩などの時のさしいれが多く、昼はおにぎり、飲料水、新鮮なトマト、リポビタンD、休憩時にカキ氷、スイカ…などなどこんなにたくさん…と驚きました。
タノンティアチェアーでカキ氷
トマトは(゚д゚)ウマー

途中、家の中から冷蔵庫が搬出されました。中身は…おそらく入っているのでしょうけど、ガムテープで固定されており、何がどうなっているかは分かりませんでした。
作業中、かなり暑く、案の定、熱中症気味になりました。
頭がクラクラして目がチカチカしてきて気持ち悪くなったので休みを入れながら作業をしました。
金庫が出てきたのはちょうど作業終了の三十分前でした。

家主さんの親戚のおばちゃんの話だと、
『金は入っていないけど、書類とかが入っている』
『盗まれるからなんとかこじあけて中身を持っていった方がいいのでは…』と。

その後どうなったかは分かりませんが、蔵の中からは色々なモノが出てきました。骨董品やら珍しい徳利に入っている日本酒、5銭や10銭。20銭などの硬貨、焼き物。
持って行っていいよと言われましたが、それはさすがに…と遠慮しました。


誰も終わりの合図も告げず、なんとなく終わりの雰囲気になり4時前に作業は終了。自分は熱中症、飯塚君は足を二三度つる(足をつるのは熱中症の症状だと言われ必死に否定していましたが…)と言う夏の過酷さを再認識した一日でした。

最後に家主さんが『本当に助かった…感謝の気持ちで一杯だ』と言った時の表情が忘れられません。まだまだ出来ること、たくさんあるんだなぁ。と実感した一日でした。

それにしても周りの家もまだあの時のまま…

この先どうなるのでしょうか、南相馬のボラセンから派遣されるのでしょうか?(飯塚君は南相馬ボラセンの情報を色々と入手したようですが)

下の家は津波の被害にあったようですが、今回の家は波は来なかったようです。

暑さで意識がもうろうとしていた・・・と思われ。

夜は「牛乳プレゼンツ北仙台ツアー」でした。

北仙台、美味しい店がこんなにあったなんて…。
〆の欅屋のニンニク背油ラーメン大盛りも疲れた胃に染み入りました。


夏の必需品
◎飲料水(2~3リットル)
◎日よけ(帽子かタオル)
◎塩アメなど。(塩分)
◎着替え(パン〇までびちょびちょです)

あると助かるもの…?
〇クーラーボックス(ペットボトルを凍らせて入れとく)
〇アイスノンなど、熱中症対策
〇ギャッツビーシート(ボディ用で顔拭くとヒリヒリ)

復興浜団

復興浜団のTシャツも販売しているようです(品薄状態)


タノンティアサテライト・サプライズ番外編
初バナナ、飯塚k君より遂にいただきました!!




2012年7月7日土曜日

2012年6月23日(土)活動報告(美里町二郷佐野)

牛乳です
だいぶ遅くなりましたがイイツカ君と彼の友人のボランティアに混ざってきました。
場所は鹿島台(大崎市)から矢本(東松島)の間にある旧南郷町だった美里町
ここは津波地域からは遠く離れ直接の被害は無いところ
なぜここに来たかというと
依頼主は石巻市内で自宅と農地が津波被害にあい
やむなく仮設住宅から40分も離れたこの美里町で手放されたビニールハウスを見つけ
トマト栽培を行い農業を再開するためのボランティアなのです
依頼内容は耕運機が入れるようハウス内をきれいにしてほしいとのこと

規模は目算で12m×80mぐらいの1棟と4m×80m2棟とかなり広めのビニールハウス
ただビニールが破けているので風通しがよく蒸し風呂のようにはなったりせず
ほどほどに快適
刈り払い機で刈った草の運び出しを農用のフォークで雑草かき集め
ベニヤ板に乗せ外に運び出すそんな仕事が午前中いっぱい
午後は防草シートの残骸回収
途中、僕らのリーダーGKYM君は常に威勢よく
関西のやんちゃなノリでメンバーを楽しませてくれたり
休憩の度に破れたトランクスを見せてくれます
彼からも
「牛乳さんはなんで牛乳って呼ばてはるんですか?」
との問いがありましたが
これはタノンティア中では極秘事項なので
今回も秘密にさせていただいております
ゴメンね

面々の中で唯一県内ナンバーの僕に話しかけてきた依頼主さんとちょこっと話をしましたが
聞けば被害のあったお住まいは旧北上町橋浦・大須地区!
以前ボランティアに行ったところでもあり
震災以前に仕事等で20回以上も行った事のあるところの方でした。
なにかとあの辺には縁があるようです。

作業が進むにつれルーチン化・効率化されついつい一生懸命
これから暑くなるので無理は禁物です
GKYM君ら一党は別班を女川に置いてきていて迎えにいく都合があり15:00で終了

最後にご主人からごあいさつをいただき(というかせがんだ)その中で

御好意に恵まれ東京で宮城の野菜を売る機会に恵まれたり
被災県の産物を快く買ってもらえる半面

関西方面では東北や宮城というだけで汚染のイメージが付き買い手がつかず
難儀している

もちろん安全なものであることチェックをした上で出荷をしているし
危険なものは出荷しない
そこは厳格にやっているので誤解を払しょくしていきたい


関西の人からすれば東北の災害についてはボランティアとして現地に乗り込んでみない限りは
外国の事のようにも思ってしまうんだろうな
かつての阪神大震災や十勝沖地震の時に凄惨な被害のニュースに情を動かされたが
どこかしら遠くの事に思っていた反面は否めない
簡単なようで難しい


そのあと女川方面への寄り道に誘われたので行ってきました
GKYM君一党の別班は女川町の運動場で写真洗浄
陸上のトラックには引き取りを待つ遺骨が数100人分がいまだ保管され
同じ建物の一角で自衛隊のひきとってきた写真を洗浄・保管・引き取り手の受付を行っていました
津波にさらわれた写真の被写体たちが無事でいる事を祈りたくなる
1年以上経過してもいまだ重々しい空間でした
(ここには仮設住宅も隣接していたので撮影は遠慮しました)

GKYM君ご一党とはそこで別れ
先出の”おかせい”さん
本来であれば6月からホヤの旬
ホヤ狂いの僕と飯塚君としては見逃せないのですが
津波の被害で養殖は壊滅で、稚ホヤで養殖を再開しているけど
大人のホヤになるまでは3~4年は待ってくれと
もちろん待ってます

そしてイイツカ君ともここで別れ
いつものこれ

撤去が決定していたのでこれが見納めでした
(6/30-7/1にかけて撤去)
そしてここ

道向かいに石巻焼きそばを焼く屋台があり
まだここは観光地

以上報告でした

2012年5月31日木曜日

2012年5月27日(日)活動報告(石巻市牡鹿町鮎川)

はい牛乳です
試験や腰を壊して半年ぶりのボランティアになってしまいました
場所は石巻市牡鹿町VC
僕一人だけのエントリー
 前の晩に石巻市中心部の宿に泊まっていたので朝楽チン
40分位で到着しました

派遣されたのはVCの目の前の敷地
若干拍子抜けです

 この日は晴天に恵まれたので雨具は不要
ただヤマビルが発生するとの事で長靴と長袖・手袋必要、砂埃が舞うのでマスク着用してました
黙って突っ立ってても汗ばむ陽気なので飲み水は2lは平気で消費します

依頼内容は敷地内の除草と細かい石およびゴミの除去、昨日から作業が行われおり後半戦からのスタートになります。

 他県からバスで来られた皆さんの作業は、草はほとんど無く石、ガラス片、金属片などを分別しながら土のう袋に詰め込んでいく作業がほとんど。
新たな道具発見

 このシートは土のう袋を自立させるためのもので、満タンになったらシートを抜き取る。いろいろあるんですね。


 一人での参加は僕だけだったのでリーダー格の手元作業。
石は袋を二重にして詰めないといけないのですが、前日のボランティアさんが凡ミスで一枚でやった為、二重化する出戻り作業。

 いちいち持ち上げたりすると腰を再び痛めるので、負担の無い方法を思案…。
ハッと気が付きタノさん考案の「ヤサシー奴」の方法を真似すると、あまり力を使わずかつ早く納める事が判明(同じ作業していた人の1.5倍は早い)。

袋イン袋はこの方法がベストです。2・3回タノムスビをすると半年のハンデも無くなり高速化。

 そして、石と書かれた袋が不足するとマジックでとにかく書く。たぶん僕の一生で一番「石」という漢字を書いた事になるでしょう。


 リーダー格の方から聞いたのですが、牡鹿VCの地区は地元の自治体が買い上げる事になっていて、清掃活動自体には大きな意味は無く、地権者の感情でやらされているのかもしれないと。
買い上げまでに畑にでも使ってくれれば良いのかも知れません。
ただ、ここで作成した石の入った土のう袋は、大潮で満潮の時に冠水する船着き場付近にとって貴重な砂利になるそうです。

 お昼を挟んで14:00には終了
またもや骨を発見近くにいた警官を呼んで診てもらうと案の定「鹿の骨」
家族の帰りを待っている人もいるので馬鹿にはできませんが鹿多すぎです。

おそらく土曜の作業前はこの状態(作業場所の隣地)

作業後がこれ

きれいなったと思います

以上が作業の報告