2014年3月24日月曜日

2014年3月21日(金)22日(土)南三陸町

皆様、いかがお過ごしでしょうか。ジュンヤです。
震災から三年という言葉を巷で聞いたり、メディアがこぞってここぞとばかりに被災地に行って報道をしていましたが、タノンティアサテライトも今も継続して細々と活動中です。
相棒でもあるいいつかくんは最近肩のボルトも晴れて抜き、元気になり、
どうやら本業のラーメン屋が忙しいようで、またしても振られてしまいましたが、
今回は南三陸町に行きました。
漁業支援を、と思ったのですが21日はまさかの雪。
ベイサイドアリーナまでの道のりは大変でした。


何回もスリップするし、ハンドルは効かない。
おまけに駐車場に入れようとしたらスタックしてしまい、
他のボランティアさんに助けてもらいました。ありがたい。


この日はそういうこともあり、地域支援の除雪作業と言う事でボラセンの隣の診療所、そして村役場前の雪かき作業となりました。
特に診療所前の駐車場は救急車も入りますので重点的にやりました。

一箇所に集め、それをトラック三台を使ってボラセン裏に捨てに行くという作業をずっとやります。
普段やらないので腰や肩が悲鳴をあげます。
役場、バスロータリー、ベイサイドアリーナの駐車場と午後までやりますが、次第に雪も解けビチャビチャです。15:30終了。こんなに雪かきばかりやってのは生まれて初めてかな。
帰りに車の中でふと考えました。このまま雪かきだけで終わっていいのか、と。翌日はRerootsに行こうと思いましたが南三陸へいこうか。

家からは約2時間かかりますが、敢えて行くことにしました。
次の日は三連休の中日と言うこともあってか人がたくさんいました。
これだけいると漁業支援は無いだろう、と案の定瓦礫撤去作業でした。

約80名大阪、愛知からも来ていました。

前に進むか、後ろに進むか、スコップを使っての土起こしなら後ろ向きにやったほうがやりやすいです。


長清水という浜の近くの農地ですが、ボラセンからだいぶかかります。ホテル観洋を過ぎ、セブンを左に曲がりモアイ像を通り越し、さらに進みます。今までで一番遠い場所だと思いました。

さんさん商店街以外のモアイ。もともとはここにあったようですね。

リーダーより指示が出て一列に並びどんどん掘っていく方式です。
あれだけ細かかった分別は今は、石とそれ以外。というなんとも大雑把な分別なのは瓦礫の処理施設が無くなったからとのこと。とは言っても瓦礫はほとんど出てこず、石を除けます。
3時に終了。川で使ったバケツなどを洗いボラセンに戻ります。


せっかくだからと帰りに少し見てまわりました。
相変わらずの防災庁舎。県では震災遺構として保存、町は撤去と一悶着もふた悶着もあり、現在もなお議論されているのはご存知のとおり。観光バスがここぞとばかりに何台も来ていました。
国道の真ん中に止めて説明をしているので後続の車がつかえて渋滞を起こしていたのはどうか、と。


そして盛り土があちらこちらにありました。何を作るのでしょうか。

上山八幡神社のすぐ下の方のセブン近くです。
長さんのご実家があった上山八幡神社に立ち寄ります。懐かしい…



崩れたトンネルもBRTの道路として復活していました。BRTは通勤通学にはいいけど、駅まで結構遠いお年寄りも多く、一日の本数も少ないので使い勝手は悪いとの話を聞きました。

津山から初めて南三陸に来た時にまず衝撃を受ける地域でした
三年経って、改めて思ったのは、変わってないなぁ、ということ。
瓦礫やモノが無くなった。人は住んでいない。
そして町が消えた状態なので人は戻ってきていない。
南三陸町のボランティアセンターも三月で閉所の予定だったそうですが、
次年度も引き続き募集を行うようです。
個人でいきなり行っても受け入れてもらえる数少ないセンターで、ReRootsも三月で募集は打ち切りのようです。

復興から復旧などと言いますが、とにかく人が居ないからなかなか進まない、土地が生きてこない。今後の課題となっていくと思われます。

8.7Mの高さのしるし。堤防を作るのでしょうか。

時間が止まったように折れ曲がった何かのハンドル
雪焼けしました