2013年11月17日日曜日

2013年11月16日、17日 ReRoots

人肌恋しい季節になってきましたがいかがお過ごしでしょうか。ジュンヤです。
東北楽天の優勝パレードも盛大に行われた前の週、行ってまいりました。

前出の牛乳さんを振ってしまう形になってしまったと思ったら、今回はどうやら最近転職してラーメン屋の修行にいそしむイイツカ君にまたしても振られてしまいました。倍返しとはこのことでしょうか。

さて、若林区のRerootsが11月一杯でボランティアの受付を締め切るということになったので、ちょうどこのタイミングしか無いと思い参加してきました。同時に若林区の最近の様子なども牛乳さんにならって報告したいと思います。

土曜日は、いつも大型バスで団体で来られている群馬の藤岡災害ボランティアセンター、同じく群馬は境町から15名くらいの団体。個人は8名程度でした。やはり寒い時期は人が少ないようです。
作業はネギ畑の雑草抜きです。




ひたすら畝の間、畝の上の雑草を抜きまくります。
たまに根っこが腐ったネギがスぽんと抜けるとネギのあの香りが漂い、食欲がわいてきます。

しゃがむと埋もれてしまうような体制で抜きまくります

ある程度抜いた雑草をまとめておいてからコレを掃除します

松の下のほう、奥には瓦礫の山が見えます

同じ体制でずっと抜いているので腰も痛くなります。
結局この日はあと少しの所で畑全体は終わりませんでした。

さて、二日目は団体様御一行も無く7人だけの活動です。やっぱり次の日仕事は避ける人が多いのでしょうか。この日は震災後に立ち上げられた農事組合法人の「クローバーファーム」の手伝いで、チンゲン菜の定植。

苗床から一個ずつほじくりだします

まずは苗床からフォークを使って苗をほじくり出します。意外とこれが難しく苦戦するも、同時に定植作業へ。

植えやすいように並べておきます

マルチシートの穴に指で穴をあけ、苗を入れ土をかぶせる。
これだけの作業ですが、一列7個の穴を両側からやります。

お尻がでかいのでこの間に入るのは難儀でした。

畝の間もスペースが狭いため、窮屈体制での作業でさらに昨日の腰が悲鳴をあげます。
定植は午前中で終わり、午後は収穫後の後片付け。

ここは掃除対象の場所。上のヤツは小さいから出荷できないとのこと。
ReRootsにもらってかえったようです

マルチシートは三回くらい使いまわすそうです。

だいたい一ヶ月くらいでこんな感じです。出荷間近。

畝の掃除は念入りに…と。なにやらチンゲン菜の根っこをしっかり取らないと次に植える苗が「根こぶ病」という病気にかかって成長しなくなってしまうそうです。冬の時期なので3時に終了。やれるだけのことはやって終了です。

ところで今回でReRootsは最終回だな、と思っていたら実はまだ終わらないとの事。
震災がれきなどの復興支援がそろそろ収束し、これからは農作業の復旧支援になるとのことで現に水~金は募集をせずにReRootsのスタッフが実際に農家に行って農業の勉強や作業の手伝いをしているようです。
今回、ニーズも落ち着き地元住民にビラを配っていたところ、駆け込みでニーズが舞い込み20ヘクタールの瓦礫の撤去という大口のニーズも舞い込んだようです。
果たして頼んでいいのだろうか、と地元の方々も色々と遠慮していたようです。
そして三月には行政の区画整理が終了し、農地がやっと農家の方々へ戻るようで、そうなったときにまたニーズが出てくるのではと言う話でした。人手が足りなく繁忙期には猫の手でも借りたい状態のようでした。

今回の作業も災害ボランティアというより農作業の手伝いであり、それはReRootsが地元の農業支援にシフトチェンジをしているからであり、今後はその類のニーズや募集が多くなるようです。
ただ、農作業だと大人数の必要はないので団体の受け入れをストップするとの事でした。

それにしてもやっぱり実際に行くと色々な話を聞くことができました。
今回、鹿児島からはるばるやってきた女子大生は大学から交通費の半額分が出ると言う情報も。
ボランティア保険も出してくれるようで、片道の交通費はでかいですよね。
それから新幹線でも「駅ねっと」の35%の割引を使うとバスより安い。などなど。(ただし3ヶ月前に要チェック)
とりあえず年末は22日まで。
1、2月は作業が進まないのでお休み。3月~5月くらいは作業があるのかな、と言うのが大方の見通しでした。
農業に興味ある方はご参加するといいかもしれません。
スタッフは大学生なのでスタッフになることはできないようですが…
(大学を卒業するとReRootsから脱退しなくてはならない掟も)

さて、最近の様子を…










 
やはりまだまだ時間はかかりそうです

2013年11月7日木曜日

2013年10月14日(月)沿岸部視察 後編

気仙沼から石巻に移動し漫画喫茶に一泊、三連休の最終日も沿岸部にいってました。

石巻専修大学
自衛隊やキャンパーでごった返していた校庭も学生が運動する元の姿になっており、
 近くにあったがれきの一次集積所もすっかり更地に、
 ボランティアセンターがあったことはもう昔のことの様

■北上大須地区
広大な敷地に流れ込んだがれきの撤去は今年の田植えに間に合い、稲穂が頭を垂れ、早いところでは稲刈りが完了している田んぼも見られました。
 2013.10.14
 2011.11.12

 ボランティアで入ったころは休耕田として担い手を探していたのですが、見つかったという事になります。
 おそらくではありますが、この先や反対側の水田地帯はまだ復旧作業続いていたことから、作付地を探していた農家が出てきているという事で、担い手が見つかったのではないかと思われたのですが、真相はわかりません。

■旧北上町石巻市庁舎
石巻市役所北上総合支所が左手に、道を挟んで右側に吉浜小学校道があった場所
 (2013.10.14)
 (2011.7.31)
ここも避難場所になっていたにもかかわらず、大津波に襲われわずかの生存者を残し避難した人たちが無くなった
更地になって小学校側に慰霊碑、犠牲になった方の名前が刻まれています。
 (2013.10.14)
 (2011.7.31)

ダンプが往来する道が校庭のど真ん中を通っているという事は、見た目には分からないでしょうね。

■大川小学校
震災後にたくさんの報道により有名になったので、行ったこの日も引きっきりなしに弔問者が手を合わせカメラを向けています。
 校門を利用した祭壇とは別に、校庭に慰霊碑ここにも小学校の児童とこの集落で犠牲になった方の名前と年齢が刻まれています。
僕と大して歳の変わらない人、僕なんかよりもっと若い人、たくさんの方の名前がありました。

■雄勝
震災の年に行ったときは日が落ちかかっていて、電灯もないうす暗い中ビルの上に大型バスが乗っかっている。
 暗さが被害の恐ろしさを何倍にも膨れ上がらせた場所でした。
その集落も更地になってました。
 恥ずかしいことに震災前に来た覚えは無く、ホタテの養殖が盛んであったことは初めて知りました。
 その場で食べるものは一応アイスだけという体裁でしたが、「生簀のホタテを食べさせてもらえないか」と店のご主人にお願いするとその場で剥いてくれました。
 貝紐に醤油をたらすと身が生きてるように縮み、その新鮮さがとびっきりなことが分かります。
噛むとコリコリとした歯ごたえとつるつるとした表面、素晴らしい食感に驚きつつ、貝柱の身が柔らかくて甘い。それらをつるりと飲み込む快感に浸ります。
 こんなうまいホタテは食べたことない驚きの味でした。
昆布を買ったらホタテ代は”旅の思い出に”とまけてくれました、ご主人ありがとうございました。

■女川
 大方の建物の跡地は更地にしてましたが、横倒しになった建物の数棟は津波の威力を見るものとして解体されていませんでした。
    普通、鉄筋コンクリート造は地盤に強固な基礎や杭を打ち込んでいて、その重量もあるので水圧で横出しになるという事はあり得なかったことなんです。
  ここは遡上高が高く建物にかかる波の力が想定されたものを超えたということで、建築的な視点から注目をあびたことも現存させている要因だと思われます。
ただここも、震災の傷跡を消してしまうのか保管するのかはまだ検討の半ばだそうです。

今回も”おかせいさん”で魚を買って帰りました。


■鯨缶跡
タノンティアでは何度もこの場所を訪れていましたよね。
 道の向こうにはうず高く盛られていたがれきは無くなり更地になり、以前のような水産業者の倉庫街に戻っていく感じです。
 そしてここは、巨大な練り物に大量の蛆虫が這いつくばっていた場所、
 それから、鯨缶を模して造られたタンクはありません。
 人が戻り損ねた土地には、復興事業に訪れる労働者向けのプレハブで作られた簡易宿目立ってました。

■門脇地区”がんばろう石巻”
この付近は平らになるだけでなにかに変わる気配がない。
 2013.10.14
 2011.5.8
 そして、モニュメント的なものが増えていて、ボタンを押すと震災直後の映像が出る機械が登場
ここ最後に今回は帰りました。

終りに

 今回思ったのは、がれき撤去などの復旧作業は迅速な対応で思ったより早めに進んだけど、
それ以外の慰霊・賠償・補償・教訓の保存・復興プランはその土地に固有の問題として存在していて、一概にまとめきれない。
 とても複雑で、被災者ではない僕らはそれらにどう対峙すればいいのか分からなくなりそうだ。
でも、現地では前進するために声を上げている人、頑張っている姿を見てもらいたい人がいて、もしかすると助けを必要としている人にマッチングさせられるかもしれません。
 おせっかいになるかもしれないけど、行ってみることで知ることのできる情報はニュース情報より貴重で、現地の人の声を吸い上げるきっかけになるかもしれません。

 機会があったら沿岸部を回ってみませんか。

PS
帰宅し、女川で買ってきたさんまであら汁&炊き込みご飯、鯵で南蛮漬け、気仙沼の日本酒で一人打ち上げ

美味しい魚があるっていいですね
 日本酒は「金紋両国」の「UMI」アルコールが低めで飲みやすいですよ。

2013年10月13日(日)気楽会の観光案内課 ひとめぐりツアー

引き続きましてまた牛乳です。

 友人で生まれも育ちも気仙沼の斎藤君が、地元の友達とボランティアで観光案内をしているので、参加してきました。

■南気仙沼地区
避難所になった市民会館からのスタート。
眼下に田中前地区から南気仙沼駅前を望みながら浸水被害の話を聞きながら高台を下ります。

南気仙沼駅前は埋立地で津浪の来襲で壊滅的被害を出した地区の一つで、 
 南気仙沼駅前 2013.8.11

南気仙沼駅前 2011.7.24

この地区に職場があった二人の方の話を聞きました。
一人は病院にお勤めで地震発生後不自由な人を優先に避難場所へ送り届け、その後車の中のテレビで大津波来襲を知り、階数のある病院に逃げ込んだという

 もう一人は家族で切り盛りするお菓子屋さんで、沿岸部に来ている津浪はお店のある建物では耐えられないことを悟り、近くのビルに逃げ込み、津浪で流されるお店を見守るしかなかった。
改めて津浪の恐ろしさを感じさせるお話でした。
 下の地面は置くのかさ上げしてた高さまであり、地震でここまで沈下したとのこと

■気仙沼漁港
漁船の船着き場に移動し水産会社を経営する方のお話
 この漁港や自身の会社には過去の津波の想定から色な工夫があり、他の漁港には無い特色を持っていることを教わりました。
気仙沼湾は台風の影響を受けにくく、台風が来ると外洋で操業する漁船が嵐を避けに気仙沼港を使われる、漁船にとって見ればオアシスのようなところ。
 そこに復興策として、巨大防潮堤を沿岸部全てにはりめぐらすという案があり、これが強引に進められそうになっているのだ。
 海と砂浜から陸へなだらかな丘が続く場所であれば効果はあるのかもしれないが、海と山が隣接するこの港にはどうもしっくりこない。
 港と街を大きく分断することにより、色々な不都合が想定される上、場合によっては被害を拡大しかねない、そんな復興案が強引に進められ、気仙沼のよさがなし崩しにさらわれることにならないか心配です。


 ■ホテル観洋
またテクテク歩いて、お昼ごはん
ホテル観洋のレストランに行って僕は刺身定食。美味しいですよ。
 食後は屋上から気仙沼の港を一望



   かさ上げ工事が始まっている場所、仮設商店街、新たに出来た水産施設と、まだ本格的とはいえないけど動き始めている事が見えました。

 (支配人手を振ってお見送り)


■仮設商店街
ふもとに降り気仙沼横丁へ
  食べたばっかりだけど美味しそうな飲食店が並び目移りします。
いつか見たドキュメンタリーで一年過ぎたら人が来なくなり、被災地は忘れ去られたのではと危惧する内容でしたが、商店街が絶え間なくイベントを催し、季節が暖かくなると客足は戻ってきているとのこと。
 また寒くなると人がこなくなるかが心配なのだとか、観光客を受け容れられる宿も増えつつあるので、リピーターを確保しつつ寒い季節も観光客を受け容れられる本施設の建設が望まれます。


■森進一の名曲
「港町ブルース」(知ってる?)では歌の端に港の名前が出てきます。
2番には「宮古・釜石・気仙沼」と東北の港が添えられいることから碑が建てられ、前に立つと自動で曲が流れる仕掛けがあったのですが・・・。
 今はボランティアメンバーが替わりに歌ってくれます。(何度でも)
聞きたい人は行かないとね

■酒屋さん
最後に回ったのが港近くのある”すがとよ酒店さん”

  本当はここより少しはなれた鹿折(ししおり)地区にあったのですが、その地区は津浪の猛威で壊滅し、お店も使えなくなった為この地に移転。
 飲食店にお酒を納めている都合で営業を止め続けることが出来ず、何度か場所を変えながらできることをやり続けがんばっていました。
 津浪でご家族を失いながら、津浪なんかには負けないと強く語っておられました。
このツアーの中でお土産が買える唯一の場所なのでこんな日本酒を購入、味の感想は後ほど

■締めくくりのお茶
心地よい疲れをまといながら、この観光案内を締めくくるお茶屋さん。
 友人の斎藤君のお母さん(通称リンダ)の作ってくれるお汁粉疲れた体にしみます。
これを食べながら参加者の感想を一回りお話して、そんな観光案内はこの会で今年の開催は終わり、次は来年の4月から。
観光案内など開催の告知は「気楽会」のホームページで紹介していますので、気になった方はチェックしてみてください。

 また来る冬の終わりぐらいには3月11日がまたやってきます。
気仙沼に夜空にサーチライトで夜空を照らし、追悼と復興の願いを込めた光の柱を立てるプロジェクトがあったりします。

これからも気仙沼を応援してあげてください。