2013年6月3日月曜日

2013年6月1日 活動報告(福興浜団_富岡町捜索活動)

こんにちは。皆様いかがお過ごしですか?ジュンヤです。
今回は福興浜団が6月1日に富岡の海岸の捜索活動をするということで、常磐道からそのまま入れるらしいので行って来ました。
例によって、いいつかくんにまたしても振られてしまったので単身です。
金曜の10時頃に出発し、AM2時頃に四倉PAで仮眠。かなり早く行けます。二本松から南相馬に入るルートとは雲泥の差です。おそらくいわきJCTから一時間も掛からないくらいです。ちなみにいつもなら南相馬の道の駅で寝るのですが常磐道降りてトイレなどがある場所がそれ以降はないとのことだったので四倉で仮眠です。集合場所で仮眠をとっても良かったのですが、野性化した牛にでも襲われたらひとたまりもありません。それにしても薄着で行ったら夜は半端無く寒く、車の中にあったベンチコートを毛布代わりにして寝ました。
弁当や食料などは関本PAのコンビニか、常磐道を降りて六号線を東京方面に向かうとファミリーマートがありますが、ここは現地で働く方などが多く利用するので、できれば関本で買って行くのがいいかと思われます。

楢葉を通り抜け富岡のヨークベニマルに8時過ぎに着きました。
とにかく人気は全くありません。
四倉からは30分くらいでしょうか。
ここも時間が止まったように震災当時を彷彿させる風景にただただ唖然とするばかりです。
続々と車が集まり50人以上は揃ったでしょうか。まもなくして通行許可書を引っさげて浜団の上野さんが登場。南相馬から六号線を下ってきたようですが画像の許可証と同乗者名簿がないと通れないみたいです。
これがあれば南相馬にも結構早くいけるんだけどなぁ…申請しても許可が降りないだろうなぁ
朝礼は1分で終わり、海のほうへ車十数台で向かいます。
途中の町並みには驚くばかりです。

石巻の商店街を思い出させる風景でした
現場は富岡の海岸。
なにやら地面には漂着物やら木の枝きれやらが散乱している状態です。海岸にも車が埋っています。

震災から二年経ってもまだ車などは放置されてます
この地域では3名が行方不明になったいたようですが、2名は見つかり、残り1人の捜索です。
まだ一歳半のお子さんだから難しいかもしれないけど、みんなで丁寧に瓦礫や草原などを探します。ここでは大きい瓦礫は重機によって警察や自衛隊がとりあえず一箇所に集めたようですが、放射能が高い時期でみんな怖いので丁寧に分別や捜索はできなかったのではないか。というのが大方の見立てです。

そして、この場所は近々更地にして除染したものを保管したりする場所になるので、そうなる前に捜索活動を…ということで浜団がやってきているようです。上の画像の真ん中あたり、木の右手に瓦礫が積み上げられた山があります。

とにかく本当に捜索したのだろうかという状態から、瓦礫などをよけて地面が見える状態にしていきました。ここは二回目のようですが、前回に比べたら相当きれいになっているというから最初の状態がどんな感じだったのかがなんとなく想像がつきます。

ブロックの下や瓦礫の隙間、草原の間、水の中まで隈なく探します。
午後は活動範囲を広げ、広範囲に渡って探していきます。願うはただひとつ。とにかく見つかって欲しい。なんとか見つかりますように。と死んだじいちゃんに祈りながら探すもやはりそんな簡単には見つかりませんが、小さな靴などが落ちていると思わずドキッとしてしまいます。



常連の方は「あの一箇所に集めた瓦礫の山の中かもしれない。前回アルバムとか本来は見つけたら届けたりするものが結構出てきたし、線量が高く放射能が怖いからとにかくさっと終わらせたのだろう」と言っていました。
無造作に重機で積み上げられた瓦礫の山は放射能の関係で動かせないようです。
 この日は3時までに(帰宅困難区域から)抜けて欲しいと富岡町のほうから言われたようで早めの2時半に終了。結局行方不明者に繋がるものは見つかりませんでした。
丁寧に参加者にお礼を述べる上野さん
だいぶ綺麗に片付いています。

時間もまだ早いし、帰りは6号線を下ってみよう。行けるところまで様子を見に行きました。
集合場所からわずか5分程度の所にバリケードがあり、警察の方々が10名くらいいました。第一原発から8キロくらいの場所です。物々しい雰囲気でした。

楢葉ではいたるところで除染をしていたりその除染した土などを大量に保管する場所が国道沿いで見られます。これでもごく一部のようですが…
大量のフレコンバック。除染した際の土壌などが入っているのでしょう。

逆側から。白い建物は有害物質を処理する場所、と聞いたことがあります。
線量は、以前に震災の時に学校で計ってみようと思い買ったエアーカウンターを持参し計ったら富岡の集合場所で1.2μsv/h、原発から8キロ地点のバリケードの場所は3.2μsv/hでした。(ちなみに横浜市では0.23μsv/hが基準となっていますが、学校敷地内で計ると0.05以下の値が出ます)ただし年間被曝許容量から考えたらたいしたことは無いのかもしれませんが、やっぱりずっと住むのは危険です。とは言えいくら高いと言ってもちょっと居たくらいじゃ被爆しても体調の変化などが全く感じないのが放射能であって、それが積もりに積もった時…なのでしょうか。

見えない敵と戦っている福島の復興に少しでも協力したい、とこれからも活動を続けていきたいと思います。
さて、街中は本当に閑散としていて人の気配はまったく無いです。
居るのは除染作業員、原発帰りで防護服を身にまといバスに乗りJビレッジのスクリーニング場に向かうバスなどです。3時以降になると帰宅困難区域への立ち入りができず、入っていた住民の方々は出なきゃいけないので、そこから出てくる車で交通量が一時激しくなりました。

それにしても二年前で時が止まったまま…
瓦礫を片付けるのすら許されていない。という嘆かわしい現状に自分を含め無力さを感じずには居られませんでした。


すべての車にはステッカーが貼ってあり、『現金にて引き取ります』と。商売だなぁ。
帰りは亀戸で開催されている「亀戸オープンスタジオ」に立ち寄ろうと思いましたが時間的に厳しく断念し、途中茨城守谷で寄り道をして帰りました。

金曜出発で土曜やって帰ってくる。このプランはありですね。
ただし、常磐道からの現地入りに限りますが…。

なお、震災後二年経っても変わらぬこの現状を多くの人に知ってもらいたいと思いあえて掲載した写真もありますが、不適切であるならば削除しますので言ってください。