2011年12月4日日曜日

2011年11月26日(土)活動報告(石巻市牡鹿町)

牛乳です
遅くなりましたが先週土曜の報告です。

行って来たのは牡鹿VC
受付時間が8:30から9:00の間なので余りのんびりいけません。
(土日は参加者が多いので7:30から受付もあるとのこと)
 石巻中心部からも結構離れているので、仙台の中心部からの6:30集合でも遅くて、到着が8:45くらいでちょっと焦ってしまいました。
メンバーは先に到着していたオカベ(ユ)さん・オカベ(デスネ)くん・ニヘイさん・ヨウくん・イイヅカくん、そして僕の車にヌマッチさん・僕

先日の視察のとおり未だニーズはまだありました。
派遣先はVCのある鮎川から少し離れた小渕浜(こぶちはま)地区
作業内容は海岸に面した水田のガレキ撤去

 派遣先には僕ら以外の参加者が300人位がVC(社会福祉協議会)のメンバーからガレキ分別のルールを聞いたら、各自作業に取り掛かるというものでした。
 大半の参加者は県外からのバスツアーなどで、レクリエーションの簡単だったことと道具が不足していたので、周りの作業内容を探り探りやるしかないようで、序盤戸惑い気味でした。


 僕らはテリトリーを決め、できるだけ集中して同じ場所に従事、テキパキやることで模範になればとこっそり願いを込めて。(内心ドヤ顔)
 その土地が水田ということもあって足元がぬかるみ、ガレキの半分ぐらいは建物の木材で、釘が出てるので注意が必要でした。
 作業時には消防と警察の方が来ていたので、未だ不明者の確認も遂行中なのかもしれません。
 日差しに恵まれ暖かい中の作業でしたが、休憩時は汗が冷えてちょっと寒いので、体温管理が難しいです。
 昼過ぎにもなれば、概ね瓦礫の掘り起こしにめどが付いたので、


 道路脇までガレキを移動


 ここでも僕らは物言わず、動線の凹凸ならしや搬出先のガレキ分別にしゃしゃり出てみました。(やはりドヤ顔)
 13:30過ぎから次々ツアー参加者が帰り始め、15:00過ぎには大半の参加者がツアーの都合で撤収して、我々だけ残っちゃったので、

 恒例の集合写真を撮って僕らも引き上げました。

 報告のためVCに戻った際、道向かいに「おしかのれん街」がオープンしてたので覗いてみました。
窮屈そうでしたが、おすし屋さん、魚屋さん、鯨を使った工芸品屋さんが並んでいたので、好物の鯵の干物を購入。※画像失念

 ちょっとコーヒー等を買うもりで、帰り道にこの日の作業場所の上にあるコンビニで見つけたもの、

(HELP)
このコンビニは浜と浜の間にあり陸の孤島となり、上空からの救援を待っていた痕跡でしょう。

(日赤病院 出産)
 無事、牡鹿の新しい命が生まれ、健やかに育っている事を願います。
以上、見慣れてしまったはずのリアス式海岸がちょっと綺麗に見えた牡鹿の話でした。

2011年11月21日月曜日

2011年11月19日(土)活動報告(亘理郡山元町)

ゆみぺです。

いつにも増して長文駄文ですごめんなさい。


本日は群馬からワタナベさん、ネギシさん、埼玉からオカゼリさん、

仙台からタケミさんゆみぺの5人で山元町災害VCに行ってきました。

関東勢の3人は毎月宮城にボランティアに来てくれています。

本当に頭が下がります。

山元町VCでは少し前に本格的に冬に入る11月20日をめどに活動したいと

訴えていたこともあってか

ボランティア受付では200人近い参加者が並んでいました。

我々も事前予約はしていたけれど受付時間が少し遅かったせいか、

なかなかニーズが回ってこなくて待合室でしばらく待たされました。

10時に待合室で待機していた他のチームも含めて15人で側溝掃除の追加人員として

派遣される事になり、各自の車やバイクで連なって現場に向かいました。

現場まではボラセンの担当者の誘導に付いていくやりかたなので住所がわかりません。


テラセンのある普門寺近くの側溝だと思うんですが、

そこに着くとすでに大型バスで来た団体や個人が大勢で作業を初めていました。

我々も早く作業を始めたくてどこからやろうか見定めて待っていたのですが

ボラセンの担当者も車の誘導で手一杯、現地のリーダーも誰だか分からない、

道具も足りないということでまたしばらく待たされていると、

ボラセンの担当者から「追加で来た方集まって下さい。」との声で招集がかかり

集まったのは全部で40人。

私たち15人よりも先に追加人員がいたことにおどろきつつ

手違いで場所を間違っていたという説明でまた大移動する事に。


着いた場所は目印になるような物もなくていよいよどこだか分からない。

海からは4、500mくらいの場所で区画はあるものの建物が建っていた形跡がない。

分譲地だったのかな。

その場所の側溝を追加された順の3チームに分かれて作業スタート。

側溝のふたを開けて満タンの砂(近くが砂浜なので泥ではなく砂)をすくって

土のう袋に入れるといういつもの単純作業ではあるのだけど、

用意されていた土のう袋がいつもの3倍はある大きさ。ガラ袋なのかな。

みんな張り切ってついつい入れ過ぎてしまうんですよね。


山元町VCでは土のう袋不足も訴えていましたが入れすぎては腰に負担がかかるし、

回収業者も大変だ言うと同じチームの人は納得してくれましたが、

別のチームの満タンに砂を入れている人に注意すると

「重機で回収すればいいんだから側溝の脇に2人がかりでも持ち上げて置ければいいんだ。」

と言ってきかないので口喧嘩するのも嫌でその場を離れました。

我々は回収する時のことも考えて袋を置く場所の拠点を数カ所決めてなるべくきれいに積むように心がけていましたが、

他チームでは側溝を掃除した順に一列に土嚢袋を置いていきます。

理由は知らないけど彼らにすればまとめて置かなくていいんだそうな。

実際回収業者は重機なのか手作業なのか私には分からないけど、

もし手作業だったらと想像しなくてはならないし

どちらにせよ一列に置かれたら車を数メートル単位で移動して積まなければならないので

凄く手間なのでは。


昼休みには他チームの方も交えて車座になってごはんを食べました。

京都から車で単身来た女性、大阪や東京、石川から来た人もいました。

話も弾んできたのに雨が降ってきてしまって残念だけど車内待機に変更。

雨が強くなってきて午後の作業の心配をしていると、他チームのリーダーが呼びに来て

「雨が降ってきたから昼休みを返上して作業を進めて早く終わるようにしましょう。」

とのこと。

延々続いている側溝は今日一日で終わるものではないし、昼休みだけど現状を片付けて

中止しましょうって言うなら分かるけど

進めたいのなら午後でもいいじゃないかと納得がいかないが従う。

結局雨は昼休みが一番強かった。


午前も午後もいつもながらオカゼリさんワタナベさんは積極的に作業を進めるし、

ネギシさんとお会いするのは初めてでしたがスコップで砂をすくうのがめちゃくちゃ上手い。

訳を聞くとご実家が畜産農家でこの手の作業は慣れているのだそう。

本当にプロの手つきで感服しました。

その後も我々のチームが休憩をしている間も他のチームはぶっ通しだし、

3チーム中1チームは袋も道具もその場に開けっ放し置きっぱなしで他の現場に行ったとかなんとかで急にいなくなるし、

何時までにどこまでやるかというアナウンスもなく急に14時には作業終了。

終始参加者全員に指示や説明が届かないし統率の取れていない現場でした。

作業時間が短くてあっという間でしたが久々の団体行動のやりづらさに憤り疲れました。

現場が片付けばそれでいいんですができたら気持ちよく作業したいですよね。


山元町VCに戻って記念撮影。

みなさん雨の中お疲れさまでした。


朝の待合室で同じチームになった女性は千葉から単身新幹線で仙台まで来て

常磐線で亘理まで乗り継ぎ、臨時バスで山元町まで来たそうです。

現場までの移動はタケミカーに乗ってもらって一日一緒に行動していて

帰りは私たちも帰る仙台まで送り届けました。

いろいろお話ができてとてもよい時間でした。

またお会い出来たらうれしいです。

群馬勢のみなさんもよかったらまた来て下さーい。

2011年11月17日木曜日

2011年11月12日視察報告(東松島・女川・牡鹿・河北)

牛乳です
タノさんとの被災地観測とはまた別に沿岸沿いに行ってきました
先のレポートについてはご本尊にお願いするとして
今回”ぬマッチ”と先の土曜に行って来た被災地のレポートをします

まずは一番大切なこと
8月20日のレポートにもあった旧牡鹿町の鮎川

いまだ前線基地です
行ったその日は女の子の受付が一人で受付などの立ち回りをしていました
今現在、ニーズは豊富で事前の連絡も不要で
土日休日無くエントリ大募集
でもしっかりしたい人は電話しましょう

以前更新のほとんど無かったTwitterも今はバンバン更新しています
http://twitter.com/#!/ishinomakiovc
僕は11月26日(土)にエントリー予定です
同行願える方も含めて募集してます
(ご希望の方はML経由でエントリー願います)

話をスタートに戻します
まず向かったのはヌマッチの乙女心を癒してくれた
奥松島の宮戸島室浜


入り江に込み合った静かな漁村だったそうです

その後石巻を抜け

女川にランチへ
目の前に海を臨む場所に真新しい看板で営業していた
おかせいさん

とびっきりの具材(赤貝・しゃこ・あわび・トロ・うに・謎)
あら汁食べ放題で満腹&満足
隣接する魚屋さんでは信じられない値段の魚介
お近くにお立ち寄りの方は必見です

そこから旧牡鹿町鮎川へ
行く途中ガレキ撤去に励むボランティアが散見
過去に家族で行楽・自転車で遊びに来た町は無残な姿に変わっていました


以前の報告にあった建物はここでしょうか

冒頭のとおりVCの様子を見た後は旧雄勝町を経由して旧河北町へ
心なし、道すがら集落はあまり復旧具合が進んでるようには見えませんでした
交通の僻地ゆえの事なのでしょうか

旧北上町を結ぶ新北上大橋付近大川小学校
ご存知の方も多いと思いますが
津浪でたくさんの児童が命を落とした場所です
校門は慰霊碑となり日が落ちた時間でも手を合わせに来る人の姿が
そして沢山の供物が備えられていました。

僕らが気ままにバイクを走らせ向かった結果は
個人的に震災前の思い出の修復だった気がします
いまだ再生は半ば
まだやること考えるべきことは山積みです

2011年10月16日日曜日

10月15日(土)活動報告(山元町山寺)

どーも牛乳です

 石巻はだいぶ仕事が片付いて依頼が余りないとのことで喜ばしいことです。
 ただ気になるので、ボランティアではない時に見に行ってみようかと思います。

■活動先
今回も先の投稿と同じ山元災害ボランティアセンター
山元町役場内のボランティアセンターでは、結構な参加者
マッチングもスムースで段取りは見事です

■メンバー
タケミ・ユミペ夫妻とみきさんと僕
栃木から会社の取り組みとして参加されたN社の5名の皆さん
隣町亘理町から駆けつけてくれたHさん

■活動内容
先が「イチゴB」だったように今回も「イチゴD」と名づけられたミッション
ボランティアセンターからは丁寧に畑仕事をする意図を説明してもらいました
 イチゴがこの町の象徴であり、ハウスを破壊されたイチゴ農家の皆さんは町の再生をイチゴに賭け採算度外視で励んでいるので、ボランティアの意図とずれるかもしれないけどイチゴ農家の皆さんを助けて欲しいとのこと

まずはビニールハウスの建て方のお手伝い

ビニールを引っ張って


長さを抑えてバネ役目をする針金で骨組みに固定します

 この新設されたハウスの近くの井戸は奇跡的に海水が混ざらず、この場所での再スタートされるとのこと

 上部のビニールは資材不足で張れませんでした。
ビニールの工場も震災の影響を受け物不足なのです。
 予断ですが、

ビニールハウスの骨組みにあるメーカロゴが「浜千鳥」がカワイイ!

 後は、ごみひろいなど

 このハウスは被災後にボランティアの手で、瓦礫と汚泥を取り除き苗の棚を並べそうです。
 波を被ったハウスを見てここの奥さんは「もうだめだ」イチゴを完全に諦めたそうですが、ボランティアがたくさん入ってくるうちにイチゴ栽培の再スタートを決意
 ただ残念なのが、このハウスの近くの井戸には海水が混じり、即稼動はできないのでしばらくおやすみです。

■恒例

 来年の1月ぐらいには栃木から送ってもらった「とちおとめ」を実らせるので、イチゴ狩りに来てくださいって


 「もういっこ」はまたのその次ですね
またきます

2011年10月5日水曜日

10月2日(日)活動報告(山元町災害ボランティアセンター)

皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。

ぬマッチことa.k.a.ヌマヅクワズ(ヌマヅCoors)と申します。
初投稿になります。
乱文お許し下さい。

10月2日(日)の活動報告いたします。
メンバーはタケミさん&ゆみぺ夫妻、前日ぬマッチカー同乗にエントリーしてくれたカヨッペ、そして私ぬマッチの4名。秋晴れの中、向かった先は山元町災害ボランティアセンター。
テラセンからも近距離に位置します。


9時過ぎ、カヨッペと同乗ぬマッチカーがセンターが着くと、先に着いていたタケミさん&ゆみぺ夫妻はローカルラジオのインタビュアーから取材を受けていました。(車中からパシャリ)


マッチングはこの4名でチーム編成、リーダーはタケミさん。向かった活動先はセンターから車で5分のイチゴ農園。前日の札幌から来たボランティアチームの継続作業を行いました。
通常、こちらのボランティアセンターでは事業者へのボランティア作業は行っていないとの事でしたが、今回の依頼主はこのエリアの特産品でもあるイチゴの生産従事者ということもあり、特例で派遣される事に。


こちらは津波で倒れ、そのままの農園の看板


作業内容は、既に組まれたビニールハウスの骨組みにポリビニールを片側から被せ、仮止め。その後シートを突っ張らせキチッと固定。といった内容でした。依頼主さんもハウスの新設の作業自体を行うのは初めてとの事で、隣接した場所で作業するプロの据え付け職人の親方の手ほどき、アドバイスを受けて進めました。ポリビニールが風に煽られ中々位置が出せません。


“バネ”と呼ばれる波型に曲げ加工されたワイヤーを、被せたポリビニールの上からハウスの骨組みに固定していきます。手先の力を使う作業です。



ふんっ!ぬおっ!どりゃ!...と力まかせの作業が多かった今までのボランティア作業と今回は異なります。
優しく、丁寧に、正確に...を心がけます。依頼主さんのお父さん、お母さん、息子さんも一緒に力を合わせての作業です。ご家族全員とても勇ましい表情をされてました。必ず再建する!という思いの表れです。


季節は秋といえど、休憩はこまめに取りましょう。
センターからはクーラーボックス一杯の水(飲みきれない量)と、粉ポカリの差し入れを頂きました。


お昼。
ハウス側のため池の淵に、微妙なポジショニングで位置するコンクリ枡の中でいただきます。


タケミさん&ゆみぺから“芋煮”の差し入れを頂きました。
生姜が隠し味のとっても美味しい芋煮でした。
身体もポカポカ、午後の作業に備えます。


15時過ぎ、4棟あるうちの3棟までポリビニールを被せ仮止めを行ったところで作業を終了。
ボランティアセンターに戻ります。センターからねぎらいの差し入れのおにぎりをいただきました。同時に僕らの今回のチーム名 or ミッション名が“いちごB”であった事を知りました。


また、戻ったセンターでは早速ゆみぺが最近のこのエリアの状況、今後のニーズ内容の収集にあたっている姿が...。これもタノンティアスピリッツですね。
ちなみに、テラセンが担ってきた沿岸部エリア(常磐線より東側の地域)への車両出入りが可能になった事で、今後こちらのセンターからも沿岸部エリアへボランティアを派遣していく様子でした。よってニーズの方も順次あがってくると思います。

最後にタノンティアポーズ。お疲れさまでした。
今回の依頼主さん、たわわに実った美味しいイチゴを食べに来て下さい、と言って下さいました。必ずまた来ます。

2011年9月21日水曜日

2011年9月19日(月・祝)活動報告(亘理郡山元町テラセン)

ゆみぺです。

本日はニヘーさん、イイツカさん、オカベさん、めいけさん、牛乳さん、北くん、

タケミさん、志保さん、ゆみぺの9名とテラセンから派遣された方4名のチーム。

山元町のテラセンに何度も通っているニヘーさんをリーダーにして

テラセンからほど近い山元町山寺字畑合という地区のお宅に派遣されました。

家に行く道が無い。



基礎しか残っていない家を利用して小屋を建てるそうで、

基礎に敷いてある土をならす作業と、

900坪あるという敷地の庭部分の草刈り(草むしり)を依頼されました。


ゴミやガラスの破片などを取り除きながら、

土が足りないので他所からトラックで運ばれてきた土をならしています。


草刈りは奥に見える背の高い草が生えてる部分まで。広すぎる。


初めて使う草刈機の使い方を教わりましたが、すぐに燃料切れであんまり役に立たず。


手作業組の方が早くてきれいでした。

特にめいけさん、オカベさんの動きが素晴らしかったです。


この場所から1km弱の場所に海があります。

砂浜なので津波の被害にあった一帯は砂に覆われていて、

割と簡単に草を抜く事が出来ました。


お昼休憩は家の形が残っているお隣をお借りしました。

朝から小雨が降り続き、海からの風も強くて震えながらの昼食。

ご依頼主はかつて仙台の大学で建築の先生をされていたそうで、

今日のメンバーではタケミさんと志保さんの母校。

タケミさんはご依頼主に教わったことがあるそうです。

それが分かってからは先生風味が増して、建築の構造の話などなさってました。


午後の時間始まってすぐに土ならしは完了。


草刈りはまだまだ。


途中、唯一残っている床板を持ち上げて、それを屋根代わりにして柱を立てて

道具置き場を作りたいというので男性陣が奮闘しました。

タノンティア用語だと「床起こし」とでもいうんですか?リーダーさんやりたいでしょう。


15時の休憩の時にご依頼主から今日はここまでと声がかかって作業終了となりました。

庭の草刈りは3分の1ほど完了。

気分はハイジ。


本日のタノンティアポーズ。

ご依頼主がとても前向きな考え方の人で安心しました。

それにしてもニュースを見ていても、どの自治体もまだ復興計画を出している途中で、

被災者の方にとっては待っている時間がとても長いですね。

今日行った沿岸部は「住職分離」で農地や公園になる計画だそうです。


みなさん、体調崩したりしていませんか?

これから寒くなりそうですね。体調管理にご注意ください。