2011年8月28日日曜日

神社の下でボランティア 8月27日・28日の活動報告(南三陸町志津川)

お久しぶりです。岡部です( ´・ω・`)

8月27日、28日の活動報告です。

今回うかがったのは南三陸町志津川の上山八幡宮。

タノンティアでおなじみ、チョーさんの叔父さまの神社です。



海が見えて木に囲まれたステキな神社です。コケのにおいと風が心地よいです。


神社は水を被りませんでしたが、すぐ下にある自宅は瓦礫の山。今回はこちらの瓦礫撤去です。

メンバーはチョーさん、ニヘーさんを中心に、T大学中川くんと愉快な仲間達(27日5名、28日5名)、岡部(28日のみ参加)。


庭は自宅の瓦礫だけでなく、他の家の瓦礫、木、車、電柱など様々なモノが溢れる状態。

震災から5ヶ月以上経った事もあり、瓦礫に草が絡まっていたり柱や家具があっちこっちに転がってる状態なので作業は難航。土嚢袋を使う段階すらありません。


そんなわけで、大きい瓦礫を軽トラに積み、下の空き地へ運ぶ作戦。運転はニヘーさん。


燃えるゴミ、プラ、ガラス類、木材、金属…分別もきちんとします。指示はチョーさん。

時間がかかって骨が折れますが心は折れません。


1日6〜8人と少人数での作業でしたがここまでできました。

でも、家の裏側の瓦礫や小さな瓦礫は手つかず。


暑い中お疲れ様でした。





さて、こっから重要( ´・ω・`)b

上山八幡宮では9月14日、15日に毎年恒例のお祭りを行うそうです。

「お祭りまでに庭や家の裏側をきれいにしたい。」という意向もあり、現在はチョーさんのお兄さんが中心となって作業をしているそうです。

しかし足場も悪く人数も少ないため作業がなかなか進みません。平日は一人で作業をする事もあるとか。

お時間がある方、ぜひお手伝いしていただけないでしょうか?

今回はボランティアセンターを通した作業ではないため、神社へ直接行って作業する事も大歓迎だそうです。神社で作業している長友人さん(チョーさんのお兄さん)に「タノンティアです」と言えばオールOKです。

週末(9月3、4、10、11日)はチョーさんやニヘーさんが向かいますので相乗りも可能です。

詳しくはメーリングリストをご覧いただくか、チョウさんに直接連絡をいただけたら幸いです。

是非!!

2011年8月26日金曜日

2011年8月21日(日)活動報告(石巻市門脇明神)

どーも牛乳です
朝から強くなったり軽くなったりの雨で
半ば活動自体を諦めていましたが
ちゃんとお仕事ありました
■活動先
おなじみ石巻VC

■メンバー
僕・タカハル君・ハルカ姫・ヌマヅクワズさん(順不同)
プラス
京都の某クリエイト系大学生K君とYさんと
ほとんど謎に包まれたKさん

■依頼内容
前にやったボランティアが片付けられなかった
瓦礫と汚泥の撤去

作業中雨に降られながらでも
途中依頼者のお父さんからお話をゆっくり聞いても

連携がツーカーの僕達の手にかかれば楽勝です

■全開お父さん
大学生のK君とYさんはポカンとしてましたがお父さんの話は止まらなくて
「ここい゛らサ、まっ黒い水サ上がって来でで・・・。
そんでホデナスになって・・・。」(イロイロ割愛)

地名に「門脇」と付いていますが例の門脇小学校から結構離れ
大街道と貞山掘(北上運河)に沿って走る国道45号線が交わる付近
津浪は一階の天井ぐらいまでの水が押し寄せ
付近の建物も流されいったそうです

幸運にもお父さんの建物の前には生垣があり
建物に漂流物が当たることは無く原型をとどめることが出来たとの事
一階の一部も住めるよう修繕し
僕達が行った次の日には入院してた奥さんを
呼び寄せることができるようになったのだとか

波からはその住宅の2階に奥さんと退避したまま取り残され
その間取り置いていたりんごを食べて過ごしていたんだそうですが
りんごを皮ごと食べれないのでアルミサッシの縁で皮をはいで
食べていたそうです

3日目救助のヘリが来てくれたんだそうですが
一度吊り上げた奥さんが操作ミスで急降下して
あと30センチほどで海になったところに入るところだったそうで
そこで具合を悪くされたとの事でした

集合写真にも照れていたけど決心しての撮影のお父さんと僕ら

活動自体は平和な内容でした
このあたりは住宅機能も回復しているんですが
まだ側溝に泥が詰まっているのでニーズはありそうです

■帰り道
僕らは何度もいっている”缶詰”に
ノウゼンカズラが這う形でウジ山あとを覆ってました

■この週末(8/27&28)タノンティア活動の皆さん
僕は私用でいけませんが
気温や天候が安定しませんので健康管理に気をつけて行って来てください

■仙台市民の方
市議会議員選挙には行きましょう

2011年8月21日日曜日

8月14、15日(土日)活動報告(亘理郡山元町西牛橋)

こんばんは、たびたびおおはしです。

調子に乗って連投、今回は1415日のテラセンでの活動報告をします。

一週間後の報告で、ゆみぺさん時系列が前後してすみません。


14日メンバーは仙台よりにへいさん、チョーさん、横浜より永井先生ご夫妻、

仙台に里帰り中・東京在住いやし系美女のオカベさん、茨城からいいつかさん、

トーキョーよりおおはし、の7名、15日は永井先生ご夫妻といいつかさんを除く4名でした。  

※永井先生から画像を拝借

永井先生が書いてくださったように

テラセンお寺の住職が独自に始めたボランティアセンター

わたしには少なからず、お盆の被災地にお邪魔してしまった後ろめたさが

ありましたが、着いてすぐ、テラセンで手を合わせるとすこしほっとしました。

お寺がボラセンの機能も持つってすごい、と改めておもう次第。。


最初にうかがったのは亘理町逢隈高屋の一軒家。

ニーズは床下のヘドロかきでしたが、ほとんど終わっていて依頼主さんもおらず、

お昼前に終了。


このエリアに来て驚いたのは、家々がまばらで人影がなく、

遠目には被害がわかりにくいこと、ですが、

よく見ると家々に詰まったがれきは手つかずなままなことが多いということです。

作業したおうちの周りは住宅街ではありましたが、ほとんど物音がせず、

カラスだけが多かったです。本当に、人がいません。


道路の補修ができていないため立ち入り禁止区域になっているようですが、

まさに、なにかから置き去りにされているような空気感がありました。


そのあと近くの海岸を見てからテラセンに戻ります。

海岸にはたくさんの車&人です。

お盆で里帰りした方々が観に来たのかな、という雰囲気。

みなさん口数少なに海を眺めては去っていきます。 

すぐ後はがれきの集積場になっていて、

そこから海を見ていると、ほんとうにこの穏やかな海から津波が来たのか、涙が出ます。

ほんとうに穏やかできれいな海です。

テラセンに戻ってお昼ご飯を食べ、

その日の午後と翌日にうかがった先は、二日間とも同じおばあさまのおうち。


依頼主のおばあさまは先月まで避難所にいたけれど、近くにアパートを

借りられたので、そちらに越して毎日こちらに通って作業しているそう。

壁や床こそだめになってしまったけれど、柱は生きているということで、

再びこの家で暮らす気持ちになったみたいです。

いただいたニーズは床下のヘドロかき。

すでにご家族のみなさまで大きな床板ははがし、

ある程度釘を抜いたり断熱材除去などの処理も済んでいて、

着いてすぐヘドロかきにかかれました。

 (におい対策か? ヘドロの上に石灰が撒かれています)

とは言え二日間で何度か釘のあたまに引っかけて、作業服が何カ所か小さく破けました。

家屋内の作業が増えれば釘との接触も増えるし、

今更ですが破傷風の予防接種をしようかしらと思いました。

テラセンからはサンダー(鉄筋を切る道具?)や高圧洗浄機などが出動し、
これまで行ったことのある作業現場・ボラセンからは
やれることの幅がちょっと違う印象です。

テラセンのフジモトさんが必要に応じて各現場を巡回しています。

テラセンの方々は現場をよく知っているし、

依頼主の方とも関係が築けていて、対応がとても柔軟です。

作業を止めると、あたりは本当に静かです。

休憩する度、依頼主のおばあさまの淡々とした静かな語り口に、

みんなしんと耳を傾けます。


ほんとうに運動神経の良いおばあさまで、

わたしたちよりもテキパキと作業を進めます。

やってほしいことの意思表明もはっきりしているので非常にやりやすい。

わたしが「ここもぐれるかな?」と躊躇している狭いところも、

なんの迷いもなくひょいともぐってぐいぐいヘドロをかきだしてくれました。


津波に飲まれて助かるまでのお話も、その動きの迷いのなさを感じました。

すごいお話を聞けました…。


聞けば齢80以上、社交ダンスをしているのだとか。

昔あるある大辞典あたりで「片足立ちは老化防止」なんてことを言っていましたが、

本当かも知れません。床をはいだ骨組みの上をひょいひょい歩かれるので、

「すごいですね」と言うと、

社交ダンス踊るときにね、片足で立っていなきゃならないから、

とおっしゃっていました。


わたしももう少し歳をとったら社交ダンスを習おうかしらと思いました。


その他にもここには書ききれないくらい素敵なお話をたくさんしてくださいました。

とても良い現場だったなあと、今でもしみじみ噛み締めます。


ほんと静かー。

作業は引き続き、押し入れや玄関、洗面所の床板もはがしてヘドロを取ります。

ヘドロが全部取れたら石灰を撒いて、高圧洗浄機で洗った床板を家の中に干して、終了です。

作業を終えるとおばあさまはカーテンを閉めて、アパートに帰ります。



ご近所にどなたもおられなくても、家の中になにもなくても、
カーテンをしてめ帰ります。1階にあった荷物も、みっともないからと言って、
ボランティアのわたし達を迎えるために片付けてくださったようです。
そういう細やかさや美意識がほんとうにきれいな依頼主さんでした。

今回のミッドは草原の中です。
緑と白のコントラストが夏らしい、さわやかな組み合わせで素敵です。
チョツカミッドです。(チョーさんといいつかさんの合作)

集合写真、14日のはジュンヤ先生が載せてくださったので、

わたしは15日のを載せます。

テラセンのフジモトさんもタノンティアポーズをしてくれました。


今回わたしは3日間の滞在で、社協がやっている

南三陸ボラセン、牡鹿ボラセン、民間がやっているテラセンに行きました。

亘理郡の社協ボラセンもあるようですが、テラセンの方によると、

こちらはニーズを残したまま8月で閉鎖するという話でした。


これから被災地へのアプローチがどういった形で行われていくのか、

ボラセンが民間にシフトしていく中で、それぞれのボラセンが持つ性格みたいなものが、

それぞれにどう作用するのか、とか、あれやこれや考える帰り道でした。


いつも長々書いてすみません。

テラセン良いところです。

ぜひ!


2011年8月20日(土)活動報告(石巻市鮎川浜/牡鹿半島)

ゆみぺです。

以前タノンティアに参加した群馬のワタナベさんと、

そのお友達の埼玉から泥かき初体験のオカゼリさんのお誘いを受け

3人で石巻市牡鹿半島のボランティアに参加しました。


仙台経由で私をピックアップしてもらってそこから約2時間。

10:30頃 石巻市牡鹿ボランティアセンター(牡鹿公民館)に到着しました。

マッチングでは、せっかく牡鹿半島に来たんだから見ていってよ(?)というノリで

すでに団体が派遣されているという鮎川港フェリー発着所近くの

魚介類みやげ屋の瓦礫撤去の現場に派遣されました。


みやげ屋にはすでに見る限り100人以上の団体が黙々と作業をしていました。

現場には社協のビブスを着た指示役の人がいて、

「建物内から瓦礫を運び出して、建物の横に分別して置いてください。」

との簡単な指示をもらって作業開始。


人数が多すぎてすでに手持ち無沙汰になっている人がいるのを見ながら

人の少ない場所を探して我々も作業を進めます。

(解散後に写真を撮ったので人が多い感じが伝わらなくてスミマセン。)

道具も圧倒的に少ないので、半分以上の人がやることを探してさまよい、

ごみを拾って捨てに行く繰り返し。


分別は燃えるごみ、燃えないごみ、スチールラックなどの粗大ごみ、家電、ガラス、

石膏ボード、土や細かいごみを土のう袋に入れたもの、ビン、カンなど細かく分類の指定があり、なんとなくエリア分けしてポイポイ捨てていました。

どんどん積み上がる。どんどん分別の境目がなくなる。

土のう袋は口を結んでないので逆さまに積まれて中身が丸出しでした。

モチベーション下がるー。


ちなみに現場の臭いはそれなりです。

店の名前でドキッとしたけど思った程腐ったブツには遭遇せず。

なので臭いは酷いがハエはそんなにいません。


午後の作業は1階の瓦礫撤去が落ち着いたので1階を引き続き作業する人と、

2階の瓦礫を撤去する主に若い力持ちの男性のチームに別れて作業。

私とワタナベさんは1階、男性のオカゼリさんは2階。

2階の冷蔵庫やラックなど大型の物や食器などの小物を2階の窓から地上のごみ置き場に投げ落とします。

指示通り、そして一番スピーディな方法ですが大変危険です。

だれもケガしなくてよかった。


ボラセンの裁量はどうあれ、一緒に行った2名は最善を尽くしていたと思います。

2階のオカゼリさんが活躍している姿、ワタナベさんがすばやい気転で作業を進める姿に

いたく感心しました。

私は最初から最後までふらふらしてました。だめだこりゃ。

他の大勢のボランティアツアーの方はどう思ったのでしょうね。

8月13日の記事のおおはしさんの意見には同感です。

遅れて現場に行ったので最後まで分からなかったけれど、

100人以上いた団体は、旅行会社のボランティアツアー、何組かの団体、個人が

一緒になっていたようです。

誰ひとり名札がないので不便です。

オカゼリさんは2階での作業中、仙台から来た男性と意気投合したようで

連絡先を交換していました。こうやって繋がりが増えていくことは素晴らしいです。

その男性と一緒にタノンティアポーズ。


現場の目の前の鮎川港は海と地面の境目が無くなっていました。

水面を歩くとぬるぬると藻が生えているのでずっとこの状態なのでしょうか。

津波が来たら大変です。でも、、、初めての牡鹿半島、海はきれいでした。


【石巻市牡鹿ボランティアセンター】の所在地は

牡鹿半島、鮎川浜の石巻市役所支所の隣の牡鹿公民館です。

ボランティアの宿泊所にもなっていますが、電気は発電機を使用、

水は週に1度タンクに供給される水を使っているそう。

コンビニは5キロほど手前の集落にありますが18:30で閉店。

悪条件のなかでも寝泊まりしてがんばってくれている人がいます。

2011年8月20日土曜日

2011年8月13日(土)活動報告(石巻市大原浜/牡鹿半島)

こんにちは、おおはしです。

またまたすっかり活動報告が遅くなってしまいました。

 

今回は南三陸から牡鹿まで流浪のボランティア、

メンバーは、仙台からにへいさん、チョーさん、横浜から永井先生、
茨城からいいつかさん、トーキョーからおおはし、の5名でした。  

いいつかさんとわたしはいつもより少し早めに

前日の21時に茨城県つくば市を出発、

13日午前3時頃南三陸のボラセンに到着。

そのまま車中泊、8時からボランティア受付開始でした。 


南三陸のボラセンは仮設の医務室(薬局?)や郵便局があったり、

ベイサイドアリーナがオープンしているときはトイレや水道もお借りでき、

快適です。時間は限られていますが、シャワーも借りられるようなので、

連泊のテント組にとっても助かるでしょう。

ランティア受付は、継続(前日から作業している人)と

新規の人で列を分けられて、継続の方々は優先的に現場にまわされます。

「新規の方には仕事が行き渡らない可能性があります」

「力仕事しか残りません、軽作業をご希望の方は、ありませんのでご注意下さい」

と、並んでいる最中にアナウンスされます。   

40分待ったところで、

牡鹿のボラセンならニーズがあることがわかってるし、移動しようか、

いうことで、南三陸から牡鹿まで、約2時間かけて移動します。


途中、志津川地区にある、メンバーのご親戚のおうちに立ち寄ります。

高台にあるそのお宅からは被災地が一望できます。
5ヶ月経ってもこの景色です。
あんなにボランティアが並んでいた南三陸ボラセンだけれど、
まだまだまちにはニーズがありそう?

津波が到達するまで避難放送を続けていた庁舎が、骨組みだけになった状態で見えます。
(画像左側に見える、赤い骨組みだけの四角い建物です)
そのときの様子を聞くのは、息を呑む想いです。   

そこから牡鹿に行くまで、海沿い・山道をひたすら行きます。

東京から伊豆のほうに行く道と似ていて、ちょっと夏のレジャーに行く気分になります。

が、ここは被災地。画像を載せたかったですが、
パソコンに読み込み中になぜか画像データが殆ど消えてしまって載せられません。。
穏やかできれいな海と山とがれきと…そんな風景でした。 

牡鹿ボラセンからのニーズは、一軒家からの荷物出し。

到着すると、すでに何隊かのチームが時間差で合流して作業しています。

その数(たぶん)総勢50名以上。。一軒家に50名以上…

 

分担も統制もなにもなく、わらわらと家の中から

家財道具やこまごましたゴミを運び出します。

手持ち無沙汰にしている人も多く(わたしも)、

土嚢袋を使ってないので家の前はすっかりゴミの山です。

ゴミの山が高くなるとみんなぼんぼこゴミを投げ上げるようになるので、

蛍光灯を投げられて破片が飛び散る、なんてことも。

これではゴミを運んでくれる業者の人も大変そう… 

がちゃがちゃ。

休憩に入るのもよくわかりません。

「休憩〜」と声がかかっても作業を続ける人がいるし、

シフト制にしているのか? 休憩終わりの時間もわからず。

 

聞けばわたしたちの直前に合流したのは、

埼玉からお越しのボランティアツアー(旅行会社が組んだツアー?)の方々。

この方々が本当に大勢で、おそらくはボランティアが初めての方が多そうです。

 

人の善意(ボランティア)に「効率」を求めるのは違うよな

と思って生きてきましたが、さすがにこれは、

初めて来たボランティアの方々にも依頼主の方にも、良い経験にはならなさそう。。


効率的にやるからこそボランティアの力は最大限生かされるわけで、

やってる方も、やってもらう方も気持ちよく終われるんだよな、

と、少々イライラしてきたわたし。。

 

この現場にこの人数をよこすボラセンの裁量、

無秩序で統制の取れないリーダーの采配。。

昼食を食べ作業を再開するも、ここで力になれることはなさそうだねと言って、

我々は早々に退散します。

 

ツアーの方々には、これが被災地ボランティアだと思って帰られてしまうのかーと、

少し後ろ髪引かれる想い。

「わたしたちはタノンティアに守られてると思った」とチョーさん。

 

牡鹿ボラセンがどういう体制で、どういう属性(どういう経歴、どういう専門性)

の方々で運営されているのかわかりませんが、

わたしが見る限り牡鹿エリアではまだまだやれることはありそうだし、

あれだけの人数がボランティアに来てくれるなら

もっと効率的に回すことができるはずなのだから、少し考えて欲しい、と思いました。

そんなこと言わなかったけれど。


ボラセン次第でボランティア経験の善し悪しはかなり変わってくる、

ひいては被災者の方のニーズへの向き合い方も変わってくるだろう

ということがよくわかりました。

 (すこし、”ツアー客のための現場”という気もしました)


毎回関東から出向いて作業している身分のわたしは、

埼玉からお越しになっているツアーのみなさまを前に

非常に複雑な気持ちになりました。

県外ボランティアの受付を終了するボラセンも増えている中、

こういったツアーの受け入れ先やら受け入れ方やら、どうなっていくのか。

(こういうツアーの是非、いつまで、どこまで、

 どういった体制で被災地ボランティアが必要とされていくのか、なども)


県外から「なにかしたい」と思って被災地に来るのも善意ではあるし、

わたし自身、彼等と同じ立場です。

むずかしいです。


とはいえ県外者、県内者に拘わらず、

その場に関わるみんなが気持ちよく、前向きな気持ちで終われるように、

やはりリーダー、ボラセンの裁量は本当に重要だし、

ニーズを下さった依頼主さんや、がれき撤去に来る業者の方への

思いやりとか誠意にも関することだと思いました。


画像がないので文章ばかりになってしまいました。

いちボランティアが差し出がましいことを申し上げてすみません。

飽くまで体験者としての単なる感想、意見です。

意識改革! とな。


この翌日、翌々日のテラセンの報告もしたいと思っています。
また投稿が遅くなってしまうかもしれませんが、よろしければご覧ください。



2011年8月14日日曜日

2011年8月14日(日)活動報告(亘理郡山元町テラセン)

前回は一人なのにしゃしゃってしまい、報告を投稿してしまいすみませんでした。今回はちゃんとしたタノンティアサテライトの活動報告になります。場所は亘理郡、山元町の「お寺災害ボランティアセンター」通称テラセンと呼ばれているVCでした。仙台から車で約1時間。渋滞も無くスイスイでした。(日曜だったため?)参加メンバーはニヘーさん、チョウさん、オオハシさん、イイツカさん、初参戦の目黒のセレブオカベさん、ナガイ×2です。前日○時まで飲んでいたというニヘー邸宿泊組も元気一杯!?でした。


9時に到着し、ニーズを確認し出発したらどう考えても被災していない地域に着いてしまいました。
よくよく確認したらこちらの住所は依頼主の職場だったようです。慌てて現場に向かいますが、程なく到着。内容は床下のヘドロ出し。さぁやるぞ!と前日のうっぷんを晴らすべく気合いが入ります・・・が、作業は一時間もしないうちに終了。前のグループがちょっとだけ残した場所を終わらせた感じです。やる気満々だったチョーさんは物足りない感じでむつけてしまったようです。


時間が余ったので午後の作業前に海を見に行くことにしました。ここから200m先は海です。何事も無かったかのような静かな海とは対照的にすぐ後ろは瓦礫の集積所となっていまいした。

午後の場所はテラセンから車で10分弱のお宅です。内容は床下のヘドロ出し。ただ、テラセンの方の話によると82歳の高齢のおばあちゃんは息子さんなどと一緒に荷物を二階からおろしたり、床板を外したり、一人でどんどんとやる元気な方だそうです。津波に巻き込まれながらも隣の家に木につかまり、水かさが増すたびに木に登り、そして家の屋根に登ったそうです。その後空き家だったその家の二階に入り、寒さで震えながらも置いてあった毛布にくるまり一晩過ごしたそうです。九死に一生を得たとはこのことだと思いました。また役所の災害関係の設備が地震により壊れ、津波警報が流れなかったこと、知らずに地震後に家に戻って玄関でかがんだ瞬間に窓が割れる音がしてその次の瞬間に流されたこと、など色々と話されました。そんな訳で家主のおばあちゃんには「こちらでやりますから!休んでいて下さい」と言っても一緒にずっとヘドロをかき出していました。その姿を見て、みんな、「何としても綺麗にしたい」という気持ちが沸々と湧き起こり、無言でどんどん泥をかき出します。

オオハシさんとおばあちゃんが押し入れの中の床下からヘドロをかき出しています。(上図)
なお、この日は午前中のグループが出した土嚢袋を積む作業からはじめました。今日のミッドは「ツカミッド」です。縛り方がまずかったので、まずはみんなで雨が降っても中身がこぼれないようにしっかりと結びました。ミッドとかき出しを同時進行で行い、午後三時で終了。まだ隣の風呂場、そしてその間のデッドスペースの下が残っています。今日も相当暑く、30分働いて休憩。というローテーション。なお、このままでは終わらせられない、とニヘーさん、チョーさん、オオハシさんは急きょ明日も来ることにしたようです。さすがです。最後はツカミッドの前で記念撮影。

テラセンは立入制限区域のために社協のVCにニーズを申し出ても断られてしまい、どうすることも出来ずにいた地域の方々の駆け込み寺でした。立入制限区域もなんのその。色々なことができるのがこのVCの良さでもあると思いました。VCの方も住職さんだったり、困っている方のために・・・という想いがとても伝わります。昼ご飯を食べていた時にお墓参りで立ち寄った地域の方が、「うちの家の中もして欲しいけど断られちゃって・・・」と相談に来た時に「うちはやりますよ、こうやってボランティアの方々も来てくれるので!」と快諾されたことに、地域の方は涙を流して喜んでいました。そういう方がこの地域にはたくさんいるのです。牡鹿もしかり、テラセンもしかり。社協の大きなVC以外でも毎日地域の方のために頑張ってらっしゃる方々がいるのだということを知りました。

テラセンの方がサンダーを使って飛び出た鉄骨を切っています。細かいニーズにも対応していました。こういうことも可能なようです。(最初は我々が頼まれましたが・・・)

さて、ブログをはじめ、色々とご迷惑おかけしました。また横浜に戻りますが、9月にはまた来たいと思います。その時にはタノ隊長も戻っていると思いますのでよろしくお願いします。 (海苔船の出帆はどうでしたか?)今日帰られたイイツカさんも言ってましたが、「タノンティアはやっぱりタノしい」ですね。みんな素敵な仲間ばかりで初めての方も安心して活動できると思いました。本当に色々とありがとうございました。(明日行けなくてごめんなさい・・・)