2014年7月22日火曜日

2014年7月20日(日)福島県富岡町(福興浜団)

お久しぶりです。ながい@夏休み突入です。
久々に福島の様子を、と思い浜団が募集をしていたので捜索に参加することにしました。
いつも振られてばかりいますが、今回は期限が良かったのか二つ返事でOKが出た飯塚邸に前日お泊り。昨年豪邸に引っ越してセレブな生活を送っていました。

さらには転職先のラーメン屋(松辰)にも案内してくれて至福の一杯をいただきました。
さて、5時半に出て福島の富岡を目指します。なぜか出発してあっという間に着きました。
(スミマセン寝てました)

相変わらず楢葉は人の気配ひとつありません。
国道沿いのセブンが営業していたのは除染やその他の作業される方や住民が指定区域に入る時のための営業だと思われました。

いつものヨークベニマルは相変わらずです。線量も約1.00μsv/hと全く変わりありません。


飯塚くんはなんと、マイパソコンを持ち込み、気象庁のHPでは天気の動向、モニタリングポストの線量などをチェックしたりして余念がありません。さすがです。

それにしても、なんと意識の高い飯塚君
雨が気になりましたが約20名程度集まり現場へ。
去年牛乳さんがバイクで来た時に入った現場でした。


捜索は海岸付近、水辺などを中心に見ていきます。現地の方の話だと春先は潮が引くのが大きいから夏までなるとちょっと厳しいかな、とのこと。
人の持ち物はこうやってひとまとめにしておきます

楢葉や浪江でも捜索しているけど、骨片が出る程度の事だそうです。
今回の捜索の上流の方では先日カメラが見つかったそうで、しかもデータも丸々生きていたとの話しでした。震災から3年以上経ち、まだまだ見つかるものはあるのです。




この船も以前にもありました。

さて、午前中は雨が気になりながらも向こう岸に渡ろうにも水位が高く断念。
胴長が無いと無理ですね。
猛烈に腹が痛くなるのを我慢して昼休憩。
雨脚が強くなり、作業は止めて一旦ヨークベニマルに戻る決断が下されます。
とりあえず解散。帰られる方はここで…と言われましたが誰も帰る者など居ません。
午後は近くのホテルの厨房、そしてその小料理屋の片付けです。
3年4ヶ月経っても手付かずの状態で、当時のままです。
真っ暗なので目がなれるまで大変。何があるか分からないので危険。




店の中は地震の揺れであちこちモノが散乱し、片付ける前に避難勧告が出たので退避したそうです。それ以来全く何もしていない状態で、店の中は異様な臭いに包まれています。

割り箸はネズミがかじり、ボロボロになっていたりしますが、お店の中、厨房は電気が通っていないので暗く危険です。
ヘッドライトを付けている人が中心になって店の中のモノを全て捨てに掛かります。
この時点での分別は「燃えるか燃えないかでいいだろう」とのこと。
ビンや缶などとそれ以外。というわけ方です。

場所別に燃えるゴミ、そうではなモノを分けてはあります。

人数が多いのでどんどん中のものが出てきます。
立派な食器や皿、寸胴や鍋。捨てるのはもったいないものばかり。
そして冷蔵庫を空けると…あたり一面にやさしいやーつ(動画が開きます)の臭いが漂います。

ビンに入った酒やビールも全て捨てますが、匂いをかいでいるだけで酔いそうです。
3時には撤退しないといけないのでそれまでみんなで必死に作業をします。
中にあったものはほとんど外に出し、店の中は空になりました。少人数だったらきっと何日も掛かっていたことと思われます。



午後はカラリと晴れて汗だくになりました。
帰りはいわきの温泉に入り、帰路につきます。

進入制限区域のゲート付近に行ってみましたが、ここでは5.46μsv/h(地上から数十センチ付近)という高い数値が出ました。

なんとかしようにも人手が足りなかったり色々な問題もありなかなか進みませんが、忘れずに、そしてなんとか少しでも…と思いました。
帰りに二郎守屋店に飯塚くんを誘いましたがこれまた見事に振られ、自分も行かずに帰宅。
まだまだやるべきことは山積みです。


やさしいお姉さんが撮ってくれたのでセルフではありません

参考までに富岡町の現在の様子です。
伸び放題のヨークベニマルの植え込み

おそらくセブン。中がどうなっているのか気になります。

民家もこのように。誰も入れないようです。

原発のすぐそばを通るには通行証が必要です。

右の家が傾いているのは地震の影響です。

皮肉な看板。明治からの創業の蕎麦屋は営業停止状態です。

海沿いのホテル。全く手が入っていない状態。

危険な状態の電信柱。

2014年3月24日月曜日

2014年3月21日(金)22日(土)南三陸町

皆様、いかがお過ごしでしょうか。ジュンヤです。
震災から三年という言葉を巷で聞いたり、メディアがこぞってここぞとばかりに被災地に行って報道をしていましたが、タノンティアサテライトも今も継続して細々と活動中です。
相棒でもあるいいつかくんは最近肩のボルトも晴れて抜き、元気になり、
どうやら本業のラーメン屋が忙しいようで、またしても振られてしまいましたが、
今回は南三陸町に行きました。
漁業支援を、と思ったのですが21日はまさかの雪。
ベイサイドアリーナまでの道のりは大変でした。


何回もスリップするし、ハンドルは効かない。
おまけに駐車場に入れようとしたらスタックしてしまい、
他のボランティアさんに助けてもらいました。ありがたい。


この日はそういうこともあり、地域支援の除雪作業と言う事でボラセンの隣の診療所、そして村役場前の雪かき作業となりました。
特に診療所前の駐車場は救急車も入りますので重点的にやりました。

一箇所に集め、それをトラック三台を使ってボラセン裏に捨てに行くという作業をずっとやります。
普段やらないので腰や肩が悲鳴をあげます。
役場、バスロータリー、ベイサイドアリーナの駐車場と午後までやりますが、次第に雪も解けビチャビチャです。15:30終了。こんなに雪かきばかりやってのは生まれて初めてかな。
帰りに車の中でふと考えました。このまま雪かきだけで終わっていいのか、と。翌日はRerootsに行こうと思いましたが南三陸へいこうか。

家からは約2時間かかりますが、敢えて行くことにしました。
次の日は三連休の中日と言うこともあってか人がたくさんいました。
これだけいると漁業支援は無いだろう、と案の定瓦礫撤去作業でした。

約80名大阪、愛知からも来ていました。

前に進むか、後ろに進むか、スコップを使っての土起こしなら後ろ向きにやったほうがやりやすいです。


長清水という浜の近くの農地ですが、ボラセンからだいぶかかります。ホテル観洋を過ぎ、セブンを左に曲がりモアイ像を通り越し、さらに進みます。今までで一番遠い場所だと思いました。

さんさん商店街以外のモアイ。もともとはここにあったようですね。

リーダーより指示が出て一列に並びどんどん掘っていく方式です。
あれだけ細かかった分別は今は、石とそれ以外。というなんとも大雑把な分別なのは瓦礫の処理施設が無くなったからとのこと。とは言っても瓦礫はほとんど出てこず、石を除けます。
3時に終了。川で使ったバケツなどを洗いボラセンに戻ります。


せっかくだからと帰りに少し見てまわりました。
相変わらずの防災庁舎。県では震災遺構として保存、町は撤去と一悶着もふた悶着もあり、現在もなお議論されているのはご存知のとおり。観光バスがここぞとばかりに何台も来ていました。
国道の真ん中に止めて説明をしているので後続の車がつかえて渋滞を起こしていたのはどうか、と。


そして盛り土があちらこちらにありました。何を作るのでしょうか。

上山八幡神社のすぐ下の方のセブン近くです。
長さんのご実家があった上山八幡神社に立ち寄ります。懐かしい…



崩れたトンネルもBRTの道路として復活していました。BRTは通勤通学にはいいけど、駅まで結構遠いお年寄りも多く、一日の本数も少ないので使い勝手は悪いとの話を聞きました。

津山から初めて南三陸に来た時にまず衝撃を受ける地域でした
三年経って、改めて思ったのは、変わってないなぁ、ということ。
瓦礫やモノが無くなった。人は住んでいない。
そして町が消えた状態なので人は戻ってきていない。
南三陸町のボランティアセンターも三月で閉所の予定だったそうですが、
次年度も引き続き募集を行うようです。
個人でいきなり行っても受け入れてもらえる数少ないセンターで、ReRootsも三月で募集は打ち切りのようです。

復興から復旧などと言いますが、とにかく人が居ないからなかなか進まない、土地が生きてこない。今後の課題となっていくと思われます。

8.7Mの高さのしるし。堤防を作るのでしょうか。

時間が止まったように折れ曲がった何かのハンドル
雪焼けしました