2012年7月30日月曜日

2012年7月28日(土)活動報告(福島県南相馬市原町区)

ジュンヤです。連日暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
さて、今回MLでも流されていましたが、飯塚君の車に便乗させてもらうことなり、福島の南相馬で活動している『復興浜団』に合流させてもらうことになりました。初めてなので緊張しつつも車内での飯塚君との〇〇トークがやたら盛り上がります。

12時前に茨城を出発し、常磐道~磐越道~東北道を経て、朝4時に南相馬、道の駅に到着・・・からの仮眠。

復興浜団の集合は9時。8時過ぎに起きてみるとなんとなくそれらしき人がうろうろし始めます。それにしても朝からかなり暑い。

9時に打ち合わせが始まり、20人くらいで移動。
特に細かい説明などたいして無く、『ついて行けばなんとかなる』と言う感じです。

着いたのは浜辺でした。ここで捜索活動をしてから…と言うのが流れのようです。

家が建っているすぐ向こうは海。冠水しているようです。

行方不明者の捜索活動は棒を持って砂浜を捜し歩きます。なんとかひとりでも多く見つけたいという一心でみんな砂浜を探しますが、見つからず。
11時半、本日の活動場所に移動。
海岸から車で数分のところです。(捜索活動をしたのは、262号線の右の浜です。)
大きな地図で見る

行ってみて驚いたのは、『一年前の状態だ…』と言うことです。ここは警戒区域が4月16日に解除されましたが、住民の方々は避難生活をしており、人は住んでいません。家主の方も群馬に避難されているようで、一ヶ月に数回しか戻ってこれないとのことでした。

家は屋根の瓦が散乱しており、大正時代に建てられた石蔵は無残に倒壊していました。この蔵の中に眠る金庫が気になるらしく、それをみんなで探します。





立派な屋根瓦、鬼瓦が無残に落ち、石蔵も倒壊して吹きさらし状態でした。チェーンソーなどを使い、どんどんと木材やら家財道具やらを片付けます。

それにしても休憩などの時のさしいれが多く、昼はおにぎり、飲料水、新鮮なトマト、リポビタンD、休憩時にカキ氷、スイカ…などなどこんなにたくさん…と驚きました。
タノンティアチェアーでカキ氷
トマトは(゚д゚)ウマー

途中、家の中から冷蔵庫が搬出されました。中身は…おそらく入っているのでしょうけど、ガムテープで固定されており、何がどうなっているかは分かりませんでした。
作業中、かなり暑く、案の定、熱中症気味になりました。
頭がクラクラして目がチカチカしてきて気持ち悪くなったので休みを入れながら作業をしました。
金庫が出てきたのはちょうど作業終了の三十分前でした。

家主さんの親戚のおばちゃんの話だと、
『金は入っていないけど、書類とかが入っている』
『盗まれるからなんとかこじあけて中身を持っていった方がいいのでは…』と。

その後どうなったかは分かりませんが、蔵の中からは色々なモノが出てきました。骨董品やら珍しい徳利に入っている日本酒、5銭や10銭。20銭などの硬貨、焼き物。
持って行っていいよと言われましたが、それはさすがに…と遠慮しました。


誰も終わりの合図も告げず、なんとなく終わりの雰囲気になり4時前に作業は終了。自分は熱中症、飯塚君は足を二三度つる(足をつるのは熱中症の症状だと言われ必死に否定していましたが…)と言う夏の過酷さを再認識した一日でした。

最後に家主さんが『本当に助かった…感謝の気持ちで一杯だ』と言った時の表情が忘れられません。まだまだ出来ること、たくさんあるんだなぁ。と実感した一日でした。

それにしても周りの家もまだあの時のまま…

この先どうなるのでしょうか、南相馬のボラセンから派遣されるのでしょうか?(飯塚君は南相馬ボラセンの情報を色々と入手したようですが)

下の家は津波の被害にあったようですが、今回の家は波は来なかったようです。

暑さで意識がもうろうとしていた・・・と思われ。

夜は「牛乳プレゼンツ北仙台ツアー」でした。

北仙台、美味しい店がこんなにあったなんて…。
〆の欅屋のニンニク背油ラーメン大盛りも疲れた胃に染み入りました。


夏の必需品
◎飲料水(2~3リットル)
◎日よけ(帽子かタオル)
◎塩アメなど。(塩分)
◎着替え(パン〇までびちょびちょです)

あると助かるもの…?
〇クーラーボックス(ペットボトルを凍らせて入れとく)
〇アイスノンなど、熱中症対策
〇ギャッツビーシート(ボディ用で顔拭くとヒリヒリ)

復興浜団

復興浜団のTシャツも販売しているようです(品薄状態)


タノンティアサテライト・サプライズ番外編
初バナナ、飯塚k君より遂にいただきました!!




2012年7月7日土曜日

2012年6月23日(土)活動報告(美里町二郷佐野)

牛乳です
だいぶ遅くなりましたがイイツカ君と彼の友人のボランティアに混ざってきました。
場所は鹿島台(大崎市)から矢本(東松島)の間にある旧南郷町だった美里町
ここは津波地域からは遠く離れ直接の被害は無いところ
なぜここに来たかというと
依頼主は石巻市内で自宅と農地が津波被害にあい
やむなく仮設住宅から40分も離れたこの美里町で手放されたビニールハウスを見つけ
トマト栽培を行い農業を再開するためのボランティアなのです
依頼内容は耕運機が入れるようハウス内をきれいにしてほしいとのこと

規模は目算で12m×80mぐらいの1棟と4m×80m2棟とかなり広めのビニールハウス
ただビニールが破けているので風通しがよく蒸し風呂のようにはなったりせず
ほどほどに快適
刈り払い機で刈った草の運び出しを農用のフォークで雑草かき集め
ベニヤ板に乗せ外に運び出すそんな仕事が午前中いっぱい
午後は防草シートの残骸回収
途中、僕らのリーダーGKYM君は常に威勢よく
関西のやんちゃなノリでメンバーを楽しませてくれたり
休憩の度に破れたトランクスを見せてくれます
彼からも
「牛乳さんはなんで牛乳って呼ばてはるんですか?」
との問いがありましたが
これはタノンティア中では極秘事項なので
今回も秘密にさせていただいております
ゴメンね

面々の中で唯一県内ナンバーの僕に話しかけてきた依頼主さんとちょこっと話をしましたが
聞けば被害のあったお住まいは旧北上町橋浦・大須地区!
以前ボランティアに行ったところでもあり
震災以前に仕事等で20回以上も行った事のあるところの方でした。
なにかとあの辺には縁があるようです。

作業が進むにつれルーチン化・効率化されついつい一生懸命
これから暑くなるので無理は禁物です
GKYM君ら一党は別班を女川に置いてきていて迎えにいく都合があり15:00で終了

最後にご主人からごあいさつをいただき(というかせがんだ)その中で

御好意に恵まれ東京で宮城の野菜を売る機会に恵まれたり
被災県の産物を快く買ってもらえる半面

関西方面では東北や宮城というだけで汚染のイメージが付き買い手がつかず
難儀している

もちろん安全なものであることチェックをした上で出荷をしているし
危険なものは出荷しない
そこは厳格にやっているので誤解を払しょくしていきたい


関西の人からすれば東北の災害についてはボランティアとして現地に乗り込んでみない限りは
外国の事のようにも思ってしまうんだろうな
かつての阪神大震災や十勝沖地震の時に凄惨な被害のニュースに情を動かされたが
どこかしら遠くの事に思っていた反面は否めない
簡単なようで難しい


そのあと女川方面への寄り道に誘われたので行ってきました
GKYM君一党の別班は女川町の運動場で写真洗浄
陸上のトラックには引き取りを待つ遺骨が数100人分がいまだ保管され
同じ建物の一角で自衛隊のひきとってきた写真を洗浄・保管・引き取り手の受付を行っていました
津波にさらわれた写真の被写体たちが無事でいる事を祈りたくなる
1年以上経過してもいまだ重々しい空間でした
(ここには仮設住宅も隣接していたので撮影は遠慮しました)

GKYM君ご一党とはそこで別れ
先出の”おかせい”さん
本来であれば6月からホヤの旬
ホヤ狂いの僕と飯塚君としては見逃せないのですが
津波の被害で養殖は壊滅で、稚ホヤで養殖を再開しているけど
大人のホヤになるまでは3~4年は待ってくれと
もちろん待ってます

そしてイイツカ君ともここで別れ
いつものこれ

撤去が決定していたのでこれが見納めでした
(6/30-7/1にかけて撤去)
そしてここ

道向かいに石巻焼きそばを焼く屋台があり
まだここは観光地

以上報告でした