牛乳です
だいぶ遅くなりましたがイイツカ君と彼の友人のボランティアに混ざってきました。
場所は鹿島台(大崎市)から矢本(東松島)の間にある旧南郷町だった美里町
ここは津波地域からは遠く離れ直接の被害は無いところ
なぜここに来たかというと
依頼主は石巻市内で自宅と農地が津波被害にあい
やむなく仮設住宅から40分も離れたこの美里町で手放されたビニールハウスを見つけ
トマト栽培を行い農業を再開するためのボランティアなのです
依頼内容は耕運機が入れるようハウス内をきれいにしてほしいとのこと
規模は目算で12m×80mぐらいの1棟と4m×80m2棟とかなり広めのビニールハウス
ただビニールが破けているので風通しがよく蒸し風呂のようにはなったりせず
ほどほどに快適
刈り払い機で刈った草の運び出しを農用のフォークで雑草かき集め
ベニヤ板に乗せ外に運び出すそんな仕事が午前中いっぱい
午後は防草シートの残骸回収
途中、僕らのリーダーGKYM君は常に威勢よく
関西のやんちゃなノリでメンバーを楽しませてくれたり
休憩の度に破れたトランクスを見せてくれます
彼からも
「牛乳さんはなんで牛乳って呼ばてはるんですか?」
との問いがありましたが
これはタノンティア中では極秘事項なので
今回も秘密にさせていただいております
ゴメンね
面々の中で唯一県内ナンバーの僕に話しかけてきた依頼主さんとちょこっと話をしましたが
聞けば被害のあったお住まいは旧北上町橋浦・大須地区!
以前ボランティアに行ったところでもあり
震災以前に仕事等で20回以上も行った事のあるところの方でした。
なにかとあの辺には縁があるようです。
作業が進むにつれルーチン化・効率化されついつい一生懸命
これから暑くなるので無理は禁物です
GKYM君ら一党は別班を女川に置いてきていて迎えにいく都合があり15:00で終了
最後にご主人からごあいさつをいただき(というかせがんだ)その中で
御好意に恵まれ東京で宮城の野菜を売る機会に恵まれたり
被災県の産物を快く買ってもらえる半面
関西方面では東北や宮城というだけで汚染のイメージが付き買い手がつかず
難儀している
もちろん安全なものであることチェックをした上で出荷をしているし
危険なものは出荷しない
そこは厳格にやっているので誤解を払しょくしていきたい
と
関西の人からすれば東北の災害についてはボランティアとして現地に乗り込んでみない限りは
外国の事のようにも思ってしまうんだろうな
かつての阪神大震災や十勝沖地震の時に凄惨な被害のニュースに情を動かされたが
どこかしら遠くの事に思っていた反面は否めない
簡単なようで難しい
そのあと女川方面への寄り道に誘われたので行ってきました
GKYM君一党の別班は女川町の運動場で写真洗浄
陸上のトラックには引き取りを待つ遺骨が数100人分がいまだ保管され
同じ建物の一角で自衛隊のひきとってきた写真を洗浄・保管・引き取り手の受付を行っていました
津波にさらわれた写真の被写体たちが無事でいる事を祈りたくなる
1年以上経過してもいまだ重々しい空間でした
(ここには仮設住宅も隣接していたので撮影は遠慮しました)
GKYM君ご一党とはそこで別れ
先出の”おかせい”さん
本来であれば6月からホヤの旬
ホヤ狂いの僕と飯塚君としては見逃せないのですが
津波の被害で養殖は壊滅で、稚ホヤで養殖を再開しているけど
大人のホヤになるまでは3~4年は待ってくれと
もちろん待ってます
そしてイイツカ君ともここで別れ
いつものこれ
撤去が決定していたのでこれが見納めでした
(6/30-7/1にかけて撤去)
そしてここ
道向かいに石巻焼きそばを焼く屋台があり
まだここは観光地
以上報告でした
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