2011年11月21日月曜日

2011年11月19日(土)活動報告(亘理郡山元町)

ゆみぺです。

いつにも増して長文駄文ですごめんなさい。


本日は群馬からワタナベさん、ネギシさん、埼玉からオカゼリさん、

仙台からタケミさんゆみぺの5人で山元町災害VCに行ってきました。

関東勢の3人は毎月宮城にボランティアに来てくれています。

本当に頭が下がります。

山元町VCでは少し前に本格的に冬に入る11月20日をめどに活動したいと

訴えていたこともあってか

ボランティア受付では200人近い参加者が並んでいました。

我々も事前予約はしていたけれど受付時間が少し遅かったせいか、

なかなかニーズが回ってこなくて待合室でしばらく待たされました。

10時に待合室で待機していた他のチームも含めて15人で側溝掃除の追加人員として

派遣される事になり、各自の車やバイクで連なって現場に向かいました。

現場まではボラセンの担当者の誘導に付いていくやりかたなので住所がわかりません。


テラセンのある普門寺近くの側溝だと思うんですが、

そこに着くとすでに大型バスで来た団体や個人が大勢で作業を初めていました。

我々も早く作業を始めたくてどこからやろうか見定めて待っていたのですが

ボラセンの担当者も車の誘導で手一杯、現地のリーダーも誰だか分からない、

道具も足りないということでまたしばらく待たされていると、

ボラセンの担当者から「追加で来た方集まって下さい。」との声で招集がかかり

集まったのは全部で40人。

私たち15人よりも先に追加人員がいたことにおどろきつつ

手違いで場所を間違っていたという説明でまた大移動する事に。


着いた場所は目印になるような物もなくていよいよどこだか分からない。

海からは4、500mくらいの場所で区画はあるものの建物が建っていた形跡がない。

分譲地だったのかな。

その場所の側溝を追加された順の3チームに分かれて作業スタート。

側溝のふたを開けて満タンの砂(近くが砂浜なので泥ではなく砂)をすくって

土のう袋に入れるといういつもの単純作業ではあるのだけど、

用意されていた土のう袋がいつもの3倍はある大きさ。ガラ袋なのかな。

みんな張り切ってついつい入れ過ぎてしまうんですよね。


山元町VCでは土のう袋不足も訴えていましたが入れすぎては腰に負担がかかるし、

回収業者も大変だ言うと同じチームの人は納得してくれましたが、

別のチームの満タンに砂を入れている人に注意すると

「重機で回収すればいいんだから側溝の脇に2人がかりでも持ち上げて置ければいいんだ。」

と言ってきかないので口喧嘩するのも嫌でその場を離れました。

我々は回収する時のことも考えて袋を置く場所の拠点を数カ所決めてなるべくきれいに積むように心がけていましたが、

他チームでは側溝を掃除した順に一列に土嚢袋を置いていきます。

理由は知らないけど彼らにすればまとめて置かなくていいんだそうな。

実際回収業者は重機なのか手作業なのか私には分からないけど、

もし手作業だったらと想像しなくてはならないし

どちらにせよ一列に置かれたら車を数メートル単位で移動して積まなければならないので

凄く手間なのでは。


昼休みには他チームの方も交えて車座になってごはんを食べました。

京都から車で単身来た女性、大阪や東京、石川から来た人もいました。

話も弾んできたのに雨が降ってきてしまって残念だけど車内待機に変更。

雨が強くなってきて午後の作業の心配をしていると、他チームのリーダーが呼びに来て

「雨が降ってきたから昼休みを返上して作業を進めて早く終わるようにしましょう。」

とのこと。

延々続いている側溝は今日一日で終わるものではないし、昼休みだけど現状を片付けて

中止しましょうって言うなら分かるけど

進めたいのなら午後でもいいじゃないかと納得がいかないが従う。

結局雨は昼休みが一番強かった。


午前も午後もいつもながらオカゼリさんワタナベさんは積極的に作業を進めるし、

ネギシさんとお会いするのは初めてでしたがスコップで砂をすくうのがめちゃくちゃ上手い。

訳を聞くとご実家が畜産農家でこの手の作業は慣れているのだそう。

本当にプロの手つきで感服しました。

その後も我々のチームが休憩をしている間も他のチームはぶっ通しだし、

3チーム中1チームは袋も道具もその場に開けっ放し置きっぱなしで他の現場に行ったとかなんとかで急にいなくなるし、

何時までにどこまでやるかというアナウンスもなく急に14時には作業終了。

終始参加者全員に指示や説明が届かないし統率の取れていない現場でした。

作業時間が短くてあっという間でしたが久々の団体行動のやりづらさに憤り疲れました。

現場が片付けばそれでいいんですができたら気持ちよく作業したいですよね。


山元町VCに戻って記念撮影。

みなさん雨の中お疲れさまでした。


朝の待合室で同じチームになった女性は千葉から単身新幹線で仙台まで来て

常磐線で亘理まで乗り継ぎ、臨時バスで山元町まで来たそうです。

現場までの移動はタケミカーに乗ってもらって一日一緒に行動していて

帰りは私たちも帰る仙台まで送り届けました。

いろいろお話ができてとてもよい時間でした。

またお会い出来たらうれしいです。

群馬勢のみなさんもよかったらまた来て下さーい。

2011年11月17日木曜日

2011年11月12日視察報告(東松島・女川・牡鹿・河北)

牛乳です
タノさんとの被災地観測とはまた別に沿岸沿いに行ってきました
先のレポートについてはご本尊にお願いするとして
今回”ぬマッチ”と先の土曜に行って来た被災地のレポートをします

まずは一番大切なこと
8月20日のレポートにもあった旧牡鹿町の鮎川

いまだ前線基地です
行ったその日は女の子の受付が一人で受付などの立ち回りをしていました
今現在、ニーズは豊富で事前の連絡も不要で
土日休日無くエントリ大募集
でもしっかりしたい人は電話しましょう

以前更新のほとんど無かったTwitterも今はバンバン更新しています
http://twitter.com/#!/ishinomakiovc
僕は11月26日(土)にエントリー予定です
同行願える方も含めて募集してます
(ご希望の方はML経由でエントリー願います)

話をスタートに戻します
まず向かったのはヌマッチの乙女心を癒してくれた
奥松島の宮戸島室浜


入り江に込み合った静かな漁村だったそうです

その後石巻を抜け

女川にランチへ
目の前に海を臨む場所に真新しい看板で営業していた
おかせいさん

とびっきりの具材(赤貝・しゃこ・あわび・トロ・うに・謎)
あら汁食べ放題で満腹&満足
隣接する魚屋さんでは信じられない値段の魚介
お近くにお立ち寄りの方は必見です

そこから旧牡鹿町鮎川へ
行く途中ガレキ撤去に励むボランティアが散見
過去に家族で行楽・自転車で遊びに来た町は無残な姿に変わっていました


以前の報告にあった建物はここでしょうか

冒頭のとおりVCの様子を見た後は旧雄勝町を経由して旧河北町へ
心なし、道すがら集落はあまり復旧具合が進んでるようには見えませんでした
交通の僻地ゆえの事なのでしょうか

旧北上町を結ぶ新北上大橋付近大川小学校
ご存知の方も多いと思いますが
津浪でたくさんの児童が命を落とした場所です
校門は慰霊碑となり日が落ちた時間でも手を合わせに来る人の姿が
そして沢山の供物が備えられていました。

僕らが気ままにバイクを走らせ向かった結果は
個人的に震災前の思い出の修復だった気がします
いまだ再生は半ば
まだやること考えるべきことは山積みです