2013年11月7日木曜日

2013年10月13日(日)気楽会の観光案内課 ひとめぐりツアー

引き続きましてまた牛乳です。

 友人で生まれも育ちも気仙沼の斎藤君が、地元の友達とボランティアで観光案内をしているので、参加してきました。

■南気仙沼地区
避難所になった市民会館からのスタート。
眼下に田中前地区から南気仙沼駅前を望みながら浸水被害の話を聞きながら高台を下ります。

南気仙沼駅前は埋立地で津浪の来襲で壊滅的被害を出した地区の一つで、 
 南気仙沼駅前 2013.8.11

南気仙沼駅前 2011.7.24

この地区に職場があった二人の方の話を聞きました。
一人は病院にお勤めで地震発生後不自由な人を優先に避難場所へ送り届け、その後車の中のテレビで大津波来襲を知り、階数のある病院に逃げ込んだという

 もう一人は家族で切り盛りするお菓子屋さんで、沿岸部に来ている津浪はお店のある建物では耐えられないことを悟り、近くのビルに逃げ込み、津浪で流されるお店を見守るしかなかった。
改めて津浪の恐ろしさを感じさせるお話でした。
 下の地面は置くのかさ上げしてた高さまであり、地震でここまで沈下したとのこと

■気仙沼漁港
漁船の船着き場に移動し水産会社を経営する方のお話
 この漁港や自身の会社には過去の津波の想定から色な工夫があり、他の漁港には無い特色を持っていることを教わりました。
気仙沼湾は台風の影響を受けにくく、台風が来ると外洋で操業する漁船が嵐を避けに気仙沼港を使われる、漁船にとって見ればオアシスのようなところ。
 そこに復興策として、巨大防潮堤を沿岸部全てにはりめぐらすという案があり、これが強引に進められそうになっているのだ。
 海と砂浜から陸へなだらかな丘が続く場所であれば効果はあるのかもしれないが、海と山が隣接するこの港にはどうもしっくりこない。
 港と街を大きく分断することにより、色々な不都合が想定される上、場合によっては被害を拡大しかねない、そんな復興案が強引に進められ、気仙沼のよさがなし崩しにさらわれることにならないか心配です。


 ■ホテル観洋
またテクテク歩いて、お昼ごはん
ホテル観洋のレストランに行って僕は刺身定食。美味しいですよ。
 食後は屋上から気仙沼の港を一望



   かさ上げ工事が始まっている場所、仮設商店街、新たに出来た水産施設と、まだ本格的とはいえないけど動き始めている事が見えました。

 (支配人手を振ってお見送り)


■仮設商店街
ふもとに降り気仙沼横丁へ
  食べたばっかりだけど美味しそうな飲食店が並び目移りします。
いつか見たドキュメンタリーで一年過ぎたら人が来なくなり、被災地は忘れ去られたのではと危惧する内容でしたが、商店街が絶え間なくイベントを催し、季節が暖かくなると客足は戻ってきているとのこと。
 また寒くなると人がこなくなるかが心配なのだとか、観光客を受け容れられる宿も増えつつあるので、リピーターを確保しつつ寒い季節も観光客を受け容れられる本施設の建設が望まれます。


■森進一の名曲
「港町ブルース」(知ってる?)では歌の端に港の名前が出てきます。
2番には「宮古・釜石・気仙沼」と東北の港が添えられいることから碑が建てられ、前に立つと自動で曲が流れる仕掛けがあったのですが・・・。
 今はボランティアメンバーが替わりに歌ってくれます。(何度でも)
聞きたい人は行かないとね

■酒屋さん
最後に回ったのが港近くのある”すがとよ酒店さん”

  本当はここより少しはなれた鹿折(ししおり)地区にあったのですが、その地区は津浪の猛威で壊滅し、お店も使えなくなった為この地に移転。
 飲食店にお酒を納めている都合で営業を止め続けることが出来ず、何度か場所を変えながらできることをやり続けがんばっていました。
 津浪でご家族を失いながら、津浪なんかには負けないと強く語っておられました。
このツアーの中でお土産が買える唯一の場所なのでこんな日本酒を購入、味の感想は後ほど

■締めくくりのお茶
心地よい疲れをまといながら、この観光案内を締めくくるお茶屋さん。
 友人の斎藤君のお母さん(通称リンダ)の作ってくれるお汁粉疲れた体にしみます。
これを食べながら参加者の感想を一回りお話して、そんな観光案内はこの会で今年の開催は終わり、次は来年の4月から。
観光案内など開催の告知は「気楽会」のホームページで紹介していますので、気になった方はチェックしてみてください。

 また来る冬の終わりぐらいには3月11日がまたやってきます。
気仙沼に夜空にサーチライトで夜空を照らし、追悼と復興の願いを込めた光の柱を立てるプロジェクトがあったりします。

これからも気仙沼を応援してあげてください。

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