2011年8月20日土曜日

2011年8月13日(土)活動報告(石巻市大原浜/牡鹿半島)

こんにちは、おおはしです。

またまたすっかり活動報告が遅くなってしまいました。

 

今回は南三陸から牡鹿まで流浪のボランティア、

メンバーは、仙台からにへいさん、チョーさん、横浜から永井先生、
茨城からいいつかさん、トーキョーからおおはし、の5名でした。  

いいつかさんとわたしはいつもより少し早めに

前日の21時に茨城県つくば市を出発、

13日午前3時頃南三陸のボラセンに到着。

そのまま車中泊、8時からボランティア受付開始でした。 


南三陸のボラセンは仮設の医務室(薬局?)や郵便局があったり、

ベイサイドアリーナがオープンしているときはトイレや水道もお借りでき、

快適です。時間は限られていますが、シャワーも借りられるようなので、

連泊のテント組にとっても助かるでしょう。

ランティア受付は、継続(前日から作業している人)と

新規の人で列を分けられて、継続の方々は優先的に現場にまわされます。

「新規の方には仕事が行き渡らない可能性があります」

「力仕事しか残りません、軽作業をご希望の方は、ありませんのでご注意下さい」

と、並んでいる最中にアナウンスされます。   

40分待ったところで、

牡鹿のボラセンならニーズがあることがわかってるし、移動しようか、

いうことで、南三陸から牡鹿まで、約2時間かけて移動します。


途中、志津川地区にある、メンバーのご親戚のおうちに立ち寄ります。

高台にあるそのお宅からは被災地が一望できます。
5ヶ月経ってもこの景色です。
あんなにボランティアが並んでいた南三陸ボラセンだけれど、
まだまだまちにはニーズがありそう?

津波が到達するまで避難放送を続けていた庁舎が、骨組みだけになった状態で見えます。
(画像左側に見える、赤い骨組みだけの四角い建物です)
そのときの様子を聞くのは、息を呑む想いです。   

そこから牡鹿に行くまで、海沿い・山道をひたすら行きます。

東京から伊豆のほうに行く道と似ていて、ちょっと夏のレジャーに行く気分になります。

が、ここは被災地。画像を載せたかったですが、
パソコンに読み込み中になぜか画像データが殆ど消えてしまって載せられません。。
穏やかできれいな海と山とがれきと…そんな風景でした。 

牡鹿ボラセンからのニーズは、一軒家からの荷物出し。

到着すると、すでに何隊かのチームが時間差で合流して作業しています。

その数(たぶん)総勢50名以上。。一軒家に50名以上…

 

分担も統制もなにもなく、わらわらと家の中から

家財道具やこまごましたゴミを運び出します。

手持ち無沙汰にしている人も多く(わたしも)、

土嚢袋を使ってないので家の前はすっかりゴミの山です。

ゴミの山が高くなるとみんなぼんぼこゴミを投げ上げるようになるので、

蛍光灯を投げられて破片が飛び散る、なんてことも。

これではゴミを運んでくれる業者の人も大変そう… 

がちゃがちゃ。

休憩に入るのもよくわかりません。

「休憩〜」と声がかかっても作業を続ける人がいるし、

シフト制にしているのか? 休憩終わりの時間もわからず。

 

聞けばわたしたちの直前に合流したのは、

埼玉からお越しのボランティアツアー(旅行会社が組んだツアー?)の方々。

この方々が本当に大勢で、おそらくはボランティアが初めての方が多そうです。

 

人の善意(ボランティア)に「効率」を求めるのは違うよな

と思って生きてきましたが、さすがにこれは、

初めて来たボランティアの方々にも依頼主の方にも、良い経験にはならなさそう。。


効率的にやるからこそボランティアの力は最大限生かされるわけで、

やってる方も、やってもらう方も気持ちよく終われるんだよな、

と、少々イライラしてきたわたし。。

 

この現場にこの人数をよこすボラセンの裁量、

無秩序で統制の取れないリーダーの采配。。

昼食を食べ作業を再開するも、ここで力になれることはなさそうだねと言って、

我々は早々に退散します。

 

ツアーの方々には、これが被災地ボランティアだと思って帰られてしまうのかーと、

少し後ろ髪引かれる想い。

「わたしたちはタノンティアに守られてると思った」とチョーさん。

 

牡鹿ボラセンがどういう体制で、どういう属性(どういう経歴、どういう専門性)

の方々で運営されているのかわかりませんが、

わたしが見る限り牡鹿エリアではまだまだやれることはありそうだし、

あれだけの人数がボランティアに来てくれるなら

もっと効率的に回すことができるはずなのだから、少し考えて欲しい、と思いました。

そんなこと言わなかったけれど。


ボラセン次第でボランティア経験の善し悪しはかなり変わってくる、

ひいては被災者の方のニーズへの向き合い方も変わってくるだろう

ということがよくわかりました。

 (すこし、”ツアー客のための現場”という気もしました)


毎回関東から出向いて作業している身分のわたしは、

埼玉からお越しになっているツアーのみなさまを前に

非常に複雑な気持ちになりました。

県外ボランティアの受付を終了するボラセンも増えている中、

こういったツアーの受け入れ先やら受け入れ方やら、どうなっていくのか。

(こういうツアーの是非、いつまで、どこまで、

 どういった体制で被災地ボランティアが必要とされていくのか、なども)


県外から「なにかしたい」と思って被災地に来るのも善意ではあるし、

わたし自身、彼等と同じ立場です。

むずかしいです。


とはいえ県外者、県内者に拘わらず、

その場に関わるみんなが気持ちよく、前向きな気持ちで終われるように、

やはりリーダー、ボラセンの裁量は本当に重要だし、

ニーズを下さった依頼主さんや、がれき撤去に来る業者の方への

思いやりとか誠意にも関することだと思いました。


画像がないので文章ばかりになってしまいました。

いちボランティアが差し出がましいことを申し上げてすみません。

飽くまで体験者としての単なる感想、意見です。

意識改革! とな。


この翌日、翌々日のテラセンの報告もしたいと思っています。
また投稿が遅くなってしまうかもしれませんが、よろしければご覧ください。



3 件のコメント:

  1. おおはしさん
    東京<>仙台 行ったり来たりごくろうさま。報告もありがとうね。
    (私信)今週末はウチ来るのかな〜?

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  2. このコメントは投稿者によって削除されました。

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  3. (私信)今週末うかがいたいです!
    が、一人ではすこし心細いなあということがあり。。
    (他は知らない方ばかり…?)
    タノンティアからどなたかいらっしゃいますかね?

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