まぁ振られたというより、3日くらいに現地入りして私設でボラセンを立ち上げた牡鹿の遠藤さんも6日に撤収し、社協のHPを見てもニーズは落ち着いたかな、と言う感じだったので様子見程度に行ってみたのですが、これがなかなかの混雑ぶり。
朝、7時に出て8時半に順調に現地到着。
途中、所々ブルーシートが屋根に掛かっている家があり、
地元の自治会が町内を片付けたりしている光景もあり、よくよく見たらおそらく牡鹿のサテライトがあった付近のようです。社協に頼らず地元民で片付け作業をこなしているのが頼もしい感じです。
受付を済ませ、マッチング。
と思いきやなかなかニーズが無いのか、一つ目のニーズにはありつけず、ようやく9時20分頃に二つ目のニーズが入る。
まさか、こういう事態になるとは予想だにできず、試行錯誤しながらボラセンを運営されているのだと言うことが分かります。
さて、現地までは徒歩で10分くらい。
体育館が被災して屋根が吹き飛ばされてしまった北陽中学校の前の田んぼの瓦礫撤去。25名の体制。
北陽中学校は吹奏楽部しかやっていませんでした。 |
窓ガラスがすべて吹き飛び、屋根まで持っていかれた体育館 |
もう稲刈は済ませなければならないけど被災してしまい、コンバインを入れられない状態。
倒れている稲もあり、聞いたら収穫は2~3割減で品質も落ちてしまう。
雨も降ったので地面が乾かないから刈り取れないようです。最初は7~8名の依頼だったところ、社協の人が見に来てそれじゃ間に合わないからと、大人数を入れたようでした。
依頼主はリーダーにお金を渡そうとしていましたが当然ながら固辞。
んじゃ、と言って軽トラックを運転し、休憩のたびに飲み物やお菓子を差し入れてくれています。
田んぼは一見するとちょっと稲が倒れている程度にしか見えませんが、稲をよけて見ると結構な瓦礫がたくさんありました。ローラー作戦でとにかく稲を倒さないようにひたすら拾います。
軽トラ何回か分の瓦礫が出たので依頼主さんも驚いていました。
午後、雨が少し気になってきましたが元の田んぼと別の場所の田んぼ二班に別れて作業。
こちらは一時間程度で終わりました。
こんなガラスが飛んできたらひとたまりもありません |
休憩中、消防車やら警察やらマスコミやら、取材などもはいっていたようです。
ひと段落し、最初の場所の班が別の場所(田んぼ以外)をやっていて手伝うことになりました。
でもここはニーズには無いんじゃないかな、と思いました。(少なくとも最初のマッチングではその場所は入っていなかった)
手前の枯れ草の土地の瓦礫を全員で…しかし… |
こういうこともあるのでやっぱり勝手に色々とやるのはタブーなのかもしれません。
作業終了は3時前。
依頼主さんは
『震災を見てきたけどまさか自分が被災するとは思わなかった。本当に助かった。自分も今後ボランティアをやっていこうと思う。このご恩はいつか返したい』と。
ボラセンに戻ると地域の方からのありがたい炊き出しが。これはボランティアの方のためのものなのでありがたく頂きます。雨でちょっとだけ冷えつつある体に温かい味噌汁がなんでこんなにうまいのだろう!と涙が出そうになりました。
今回は小中学校の幼馴染がボラセンの隣の小学校に勤務していることが分かり、連絡したら会いに来てくれました。竜巻災害は竜巻が通った所だけ被災し、その隣は全くなんともない。なのでどうしても地域内で温度差が出てしまうそうです。
ここからはあくまで個人的な意見ですが、東日本大震災のような大規模な災害は外からのボランティアがある程度瓦礫などを片付け、あとは復興は土地の人たちが中心となりその手助けをしながら…というスタンスでいいと思いますが、竜巻や土砂災害のような短期間である程度は片付けられる災害はその土地のコミニュティがいかに協力しあって助け合うか、だと考えます。
何でもかんでも外からのボランティア、と言う考えでは地域のコミニュティが崩れるような気がして…隣近所が困っていたら被災していない方々が手を差し伸べる。
そうすることによって地域の結びつきも強くなるし、地域の繋がりが密になると町も活性化してくると思いました。自分が子供の時は町内会やらなにやらで町内の結び付きが強かった気がします。
震災時、ウチの母親も数名で共同生活みたいな感じになり高齢の方の食事を作ったりスーパーに並んで野菜を買ったりしたそうですが、やっぱり隣近所って大切だと思うのです。
今回の災害は、自然災害はいつどこで起こるか予測がつかず常に身の回りに起こりうるということを痛感しました。
つい一人でも撮ってしまいます… |
この地域が特に被害が大きかったようです。 |
テニスコートも全て支柱が倒れ使えない状態 |
給食センターも被災しています。子供達の給食はどうなるのか… |
竜巻の通り道 |
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