今回は本家ブログでも告知されたタノンティア・ミニツアーでした。
参加者はリーダー、牛乳、飯塚、永井、の男四人。
まずは土曜日、南三陸へ。朝6:45分北仙台駅でタノタイカーにピックアップしてもらい、
飯塚君とボラセンで合流。
南三陸VCは8:30から受付で9:00~とのことですが、定員になればミーティングが始まり、9:00には移動になるので、早めに行くことがオススメです。
早く行くと漁業支援など、あまりやったこと無いような仕事にありつける感じで、これは人数が決まっているので、大人数で多少増えても減っても出来るような瓦礫撤去より先に埋ってしまう模様。
現場は長さんのご実家の近く。(国道側)
行ったことある方なら、ちょうどラーメン屋のバスが止まっている隣辺りと言えば分かるかもしれません。
ボランティアは50名くらいはいたでしょうか |
見渡すと、既にボランティアが入り、瓦礫が撤去された辺りは重機で家の基礎を壊し、その残骸が小山になっている感じですが、あまり以前と変わらないなぁ、と言うのが第一印象でした。
重機が基礎を解体し、そこら中石の山が… |
それにしてもゴミの分別がかなり細かく、ついうっかり忘れてしまうこともあります。
ボラセンの方が持ってきた分別表。うっかりすると忘れてしまいます。 |
もう冬なので一時間程度やってもへばらない感じで、休憩までちょっと長く感じます。
リーダーは時計も見ずに『もうそろそろかな?』と。体で時間の感覚を覚えているようでした。
雨もパラついてきてやたら腹が減ってきたところで午前の部終了。
ちょうど近くに蔵八ラーメンのバスがあったのでせっかくなのでそこへ行くことに。
飯塚君も買っておいた夜食のおにぎりを持ち込み四人でバスへ。
バスの隣にワゴン車があり、そこから料理が供される仕組み。
雨風をしのげる空間に一同心地よさを覚えます。食べ終わってもなかなか外に出たくない感じです。もっと寒くなったらかなり快適かも。
なぜか最後部に四人並んでラーメンをがっつく。味は…『濃い?』かも。 |
午後はバスでまったりしすぎたせいか、ちょっとけだるい感じに。
とは言えそこで厳しさを発揮するのがタノンティア。
瓦礫を運ぶとすぐにまたバケツが瓦礫で一杯になります。頑張れ飯塚君!
戻ってくるとなぜかすぐにバケツが満杯に…が5回くらい繰り返されていてヘトヘトになる飯塚君。 |
午後三時。作業終了、そして後片付け。
なんとか予定していた土地のコンクリート出しは完成しました。
さすが、建築関係に精通している牛乳さん。色々な話は勉強になります。 |
作業前の状態 |
ほうきが無かったのであまり綺麗にはなりませんでしたが、『あとは雨が流してくれます』と牛乳さん。実際に次の日に見たら綺麗になっていました(夜に雨が降っていたため)
いつもの記念撮影。テイク2。タノタイガシャツ、XLサイズ、出ないかな… |
ここは牛乳さんが去年行ったところ。道中、久々のツイキャスでは閲覧10人越えでマツタケショー!の話題で持ちきりになります。
追分温泉に17:10着。いい雰囲気で疲れて冷え切った体を温めてくれます。
あれ?どこかで聴いた曲が…リーダーの「タノンティアの唄」生ライブ。
そんなこんなで復興民泊のチェックインギリギリになったので急ぎます。が、北上川沿いの道は街灯が無く、オマケにガードレールも津波によって破壊されているので、一歩間違ったら川へ転落です。
二階部分が復興民泊。素泊まり2300円。二段ベットは下がいい!と思いました。 |
次の日の朝は天気も晴れ渡り、17日に再開した石森漫画館には朝早くからお客さんが詰め掛けます。
宿に帰ると大きな小学生が漫画を立ち読みをしていました。
その後、『復興マルシェ』で昼食を済まし、そのあとはお馴染み日和山公園~看板そして、松並地区を流し、大川小学校へ。
飯塚君とはカネシン前でお別れ。あとは牛乳さんが思わず忘れてしまったジョレンを取りに南三陸ボラセンヘ行き、南三陸さんさん商店街で小腹を満たし帰ってきました。
久しぶりのタノンティア、皆様、お疲れ様でした。
これからは寒くなるので防寒対策をしっかりとすることを勧めます。
すでにご承知かとは思われますが、リーダーであるタノタイガのイベントも、水戸芸術館、仙台ターンアラウンドで開催中。
詳しくはwebで
水戸芸術館(3・11とアーティスト: 進行形の記録) 12月9日までhttp://arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=331
ターンアラウンド(タノタイガ個展 風が 吹くとき) 12月2日まで
http://turn-around.jp/sb/
南三陸の総合防災庁舎跡には相変わらず観光バスがひっきりなしに来ていました。 |
復興マルシェで石巻やきそばと油麩丼を食べる飯塚君。 |
日和山公園からの南浜方面 |
看板の場所に建っていた。この柱の上のほうが津波の高さだそうです。 |
大川小学校では線香をあげて手を合わせてきました。 |