2019年11月12日火曜日

2019年11月10日(日)宮城県大郷町災害VC二日目

二日間のうち一日は丸森町に行こうと思いましたが、なにせ遠い。
日曜日の夜には横浜に戻らなきゃいけない関係でやはり近場の大郷町へ。
9時の受付には余裕で間に合います。家から40分かからないくらい。
駐車場は日曜ということもあってかやや少ない。


受付を済ませ、体育館に向かうといきなり
「本日、男性のかた限定で力仕事があり、お願いしたいのですが…」
と言われる。これは…なんかいいぞ
「やります」と即決
なんと集積所の荷降ろしでした。
トラックに被災家具が乗せられてやってきたものをどんどん分別して下ろす
簡単な作業かもしれませんが、鋸南町で見た集積所は本当にハードそうでした。
メンバーは5人。車で行って下さいとのことでドキドキしながら各々のマイカーで現地へ。
大郷町から利府に抜ける山道の側道に集積所はあります。
ただの空き地が集積所に。このあと瓦礫としてどう処理されていくのでしょうか。

家電製品にはまだ使えそうなものも。昔の炊飯ジャーは実は米を本当に美味しく炊けたりするものです。



なお、ちょっと前に、全く関係ない粗大ごみやらタイヤやらを、全く関係ない場所から持ってきて置いていくことが問題となった。
石巻では逆に被災地から全く関係ない他県ナンバーの外国人が車からタイヤを外したり、金属を回収する火事場ドロボーのような輩がいましたが、今回は逆で、「泥を被っていない」家具などを一般の人が置いていくことが問題となり、個人は役場に申請をして許可が必要とのことになったそう。
もうモラルの問題でしょうけど酷い話です。

さて、集積所は9時45分~12時、13時~16時が持ち込み可能時間。
入り口には警備員が配置され積荷チェック、さらにその奥の集積場の入り口にも一人配備して書類などの確認。ダブルチェック体制。

しかしながら集積所は予想に反して閑散としており、重機を担当する職員が暇そうにしている以外は誰も居ない。なんかイメージと違います。山奥に捨てられた感が漂う。ボラセンから来た人たちに全て任されるというのか、そういえば分別に関して何も聞いていないぞ。

待つこと30分…なかなかトラックは来ません。風も強く寒いのでみんな各々の車内で寝ていたりスマホをいじったり、ダラダラしていたり、外に出てきてはフラフラしていたり時間を持て余しています。トイレは仮設トイレがあるけどまぁこの山奥ですからね。

車から出て二人くらいで話をしていると残りの人達もパラパラ出てきますが、なにせ寒い。

1時間半もこんな状態で、このままこういう感じならボラセンに電話して他に回してもらおうと話していた時にやっと一台の軽トラックが…

キター!こんなにうれしいことはない。
軽トラのおっちゃんの話だと、個人の被災者は役場に申請をしないといけなくて今日は役場が休みだからあまり来ないんじゃないの?とのこと。
あぁ…そういうこと。
でも田んぼやら個人宅から出た家財は来ないのかな…
だいぶ落ち着いてきているということ。これはますます来ないかも。
と思ったら遠くに砂埃を巻き上げるトラックの姿が。西部警察で爆破を避けながら颯爽と走ってくる「マシンX」を彷彿させます。
結構な金属を積んでいる。
後の荷物、よく落ちないでここまで来たな…と一同感心の図

それ以降は入れ替わり立ち替わりトラックがやってきます。
なお、荷物は場所別に、金属、畳、家電、木材、一般ごみ、布類、土嚢、割れ物、その他、などにエリアが決まっていて、トラックがそこを回りながら我々がサポートして荷物を荷台から降ろしていくシステムです。

荷物はたまにとんでもない物も積まれていたりして度肝を抜かれます。
古いタンスからは年代物の骨董品のようなものもでてきたりしていて、おそらくですが、この集積所のどこかに時価数百万とか数千万のお宝がきっと捨てられているに違いない。

特に割れ物の場所にはウェッジウッドやマイセンみたいなカップなども捨てられてありました。(泥を被ってる状態ですが)
水をすった畳は大人6人でやっと運べたりする

フリマみたいなスペースになっちゃってます

12時近くになると搬入はストップ。
午前の部は終了

オニギリはあったのですが、ちょうど近くにローカルなラーメン屋があったので行ってみることに。
なにやら美味そうな雰囲気を醸し出すキン肉ハウスのようなたたずまい
外観を撮って中に入り席につくと、おもむろに店主がメニューの裏を見せてきます。
「無断撮影禁止、昔の女性関係がいつバレるかわからないため…」
なんて印刷されている。
「どごで誰がみでっかわがんねぇからっしゃぁ」
先に言ってくれよ。店に入る前じゃわからん。とツッコミたくなるのをぐっとこらえ‥
とてもめんどくさそうなので退店しようとしましたが、なんかのシャレのつもりなのか…怒る様子でもなく、なぜか陽気な感じも。自分で食べるのはいい、とのこと。こちらがちょっとムッとしていたのを察したか、急にフレンドリーにベラベラと話しかけてきます。

女性関係云々や、ちょっと下っぽいネタを常連のおばちゃんに浴びせかけている。そんなことに力を入れてるせいで、僕の味噌野菜のオーダーは儚くもタダの味噌ラーメンとして出てくる始末。

二回も味噌野菜って言ったのになぁ。肝心のラーメンは普通に美味しいタイプです。

さて、、戻るとすでに入り口に荷台にいっぱい瓦礫などを積んだ三台のトラックが待機しています。
13時と同時に搬入開始。パチンコ屋の開店ダッシュみたいな。

5人で3台をさばく。一台は草木を積んだものだったので、自動で荷台から降ろしてすぐに去っていき、重機で片付けています。

ちなみに山積みになっているのは重機がどんどん下のものをぶっ壊しながら上に器用に積んでいってるおかげした。


他二台は結構重いやつが…午後からいきなりヘビーな仕事です。
荷台に積まれたものが同じ類のものならいいけど、色々と積んでるトラックが厄介です。おろしてまた積む。他の場所でおろしてまた戻る、という二度三度手間。
午後は次第に積まれたものが重くなってきたりしてるのはなぜでしょうか。
ボランティアが頑張ってる証拠かな。
それにしてもほとんど積載超過じゃないのかというヤバいトラックもきたりします。
この際どうのこうの言ってられないのでしょう
コンクリートがかなり積んでありタイヤも凹んでるトラック。よくこんな重いのを積んだな…

線路のレールみたいなのも。これは一人では持てないヤツです
15時で活動終了で、その間際にもやってきます。
せっせと作業しているとリーダーから
「きりないからこれが終わったら‥」とまだ二台ほど残ってるのに終了の合図が。

どうせだから、やりましょう。と言いたかったのですが、みんなそういう気は無いようです。
15時以降にやってケガをしたらどうなるか、誰の責任になるか、とか降ろしていてまた来たらそれもやらないといけなくなる、など各々大義名分をふりかざし帰る気になっています。まぁ仕方ないです。それを言われたら何もできません。

ちょっと慣れた感じのメンバーは、いかにもらしい正論をぶちかましてきます。別にちょっとくらいいいじゃないの。15時になったら必ずってわけないでしょうよ、臨機応変って言葉はこの場のためにあるのでしょうよ。早めに終わるのは良くて延長は駄目ってよくわからない。

みんなで一気にやればすぐ終わるからやりたかったんですけど一人でやってると和を乱すことになるので泣く泣く撤収。(あとで面倒臭いことになりかねない)
帰り道トラックは一台もいなかったので、あのままやってりゃよかったよ。

巨大タノミッドができるレベルの土嚢の山…最初の人が綺麗に並べていれば…と考えるも、当初はそんな余裕などなかったんだなと改めて思われます。
そうそう、あるチームが良かれと思い貴重品などをリーダーが集めて土嚢袋に入れておいたらゴミだと間違わられて集積所まで持っていかれてしまった、という話を聞きました。恐ろしい…
そもそも捨てられても誰も気づかない場所に集めては一括管理する意味ないようにも思えます。

各々いろいろなネタを持っており、何回か現場に足を運んだメンバーは聞いたりしたことなどもいかにも自分が経験したかのような口調で初心者の方などに話をしたりする傾向があるようです。

それにしても二日間だけですが、二日とも新鮮な体験ができました。
秋田ナンバーのレンタルトラックを操っていたのは大郷町のシルバー人材センターの方々でしたが、ボラセンでも本当によく働いてくれて助かるとの評判でした。みんなで力を合わせることって大事ですね。

大郷町のVCは人も温かく、なんかいい感じでした。ケガの対応も赤十字のバスが待機しておりすぐに対応してくれます。ギスギスした感じもなく和気あいあいとして職員の方々も色々と融通を利かせてくれるかんじです。土日には高校生がバスでやってきて田んぼのゴミ拾いをやってくれています。この日は泉館山高校の野球部の部員さんたちがやってきてくれたようです。

最後に吉田川の堤防が決壊した場所付近に立ち寄ることに。

お墓も無残にも倒れてしまっています
実はこの粕川禅寺は12月に祖母の一周忌をやる予定のお寺でした。それが被災してしまい…
祖母の一周忌は別の場所でやらざるを得ない状況になってしまった。

普段は水なんてちょろちょろ流れる程度の川なのに…

ここが低くなっていて越水してからその後決壊したようです

今は小学校としては使われていない旧粕川小学校



ちょうどブルーシートのあたりの堤防は周りより低くなってたらしく、危ないからなんとかしてほしいと前々からずっと言っていたけれど国が全く動いてくれなかったらしい。(吉田川は一級河川なので国の管轄)

スーパー無駄遣いとかの話じゃないけど「転ばぬ先の杖」という言葉を噛み締めて頂きたい。
小さな川も氾濫していたようです
 

見えにくいですが山が崩れています

こちらの集積所が満杯になったので場所が下の集積所に変わったようです。

集積所を上からみたところ

ラーメン用ではなくずんだを作る時に使われると想像されます



なお、11月15日からJR東日本ではボランティアで被災地で活動する場合、やまびこに限り帰りの運賃が半額近くまで割り引かれる模様。これを機に時間がある人は大郷町でもいいし丸森、いわき、などいかがですか?高速代は無料だけどちょっと時間がかかる。新幹線はかなり割り引かれるので利用してもいいのかも。↓以下リンク
https://www.jreast.co.jp/press/2019/20191108_ho03.pdf

※ただし、帰りのチケットだけらしいです。おそらくボランティア活動証明などが必要になるのかな。

2019年11月9日土曜日

2019年11月9日(土)宮城県大郷町災害VC

台風19号のボランティアも今年度は4回目となり、年間4回は久々ですが、今回は地元に戻ってきました。
個人的な話ですが、宮城県大郷町VCは去年99で亡くなったばあちゃんの家のすぐそばで、吉田川の堤防が決壊した粕川はこれまた戦死したじいちゃんの実家とお寺がある。
ばあちゃんは戦争でじいちゃんを亡くした後も足しげく粕川にいっていた。そしてお墓のあった寺も水を被ってしまった。
これはいくしかない、と思いつつも色々な用事が立て込み、なかなか行けず今回に至る。

さて、ボラセンはナビがなくても行ける場所。

9時前に着くと人影はまばら…

ここのボラセンの特徴としては、

①完全装備をして準備してから受け付けへ
②現地へはバスで送迎される。
③ボラセンから資材を持っていくことはない。

受付からマッチングまで実にスムーズで本当によく機能しています。
体育館の椅子に座った5人が1チーム。

なんと…女性が多いチームに入ることに。
バスが来たら現場に向かう感じらしく、到着まで15分ほど。ピストン輸送している模様。乗り合いのバスは補助席もフル活用してロスがない。
悪く言えばギューギュー詰め。と言っても現場まで10分の距離なのできになりません
バス内では慣れた説明に一同耳を傾ける。
漬物の中身は生ごみとして集めるので今回は集めないように、というローカルルール。


サテライト的な拠点にバスがとまり、ここでニーズに合った割り振りをされる。

自分達は「泥掻き」
えっ!!!
泥かき!!
なぜか泥かきという言葉に思わずテンションが上がってしまうのは悪い癖ですが、
つらい、厳しい状況に自ら首を突っ込みたくなるのは東日本大震災で身に着いたものでしょうか。
なんと、ここで必要なものはネコ車にすべて積み込んである。
準備万端です。
バールチーム(床板ガチ勢)の後にくっついてどんどん泥を出すというとても効率的な作業になりそう。

現場はおじいちゃんが一人で掃除をしていました。
まずは庭に出された家具をトラックにどんどん積む作業から。

そして窓枠を外しいよいよ床板剥がし。

バールチームのリーダーはプロの人で、トラックにに家具を積むときにも
『トラックに上がらないで!ハーネスがない人は上がれない、155センチ以上なんたら…』と言いながら、
ボランティアの安全管理を徹底しています。
床板もどんどん外していきます。
自分も手伝わせてもらいましたが、80センチ級のバールも揃っており楽々剥がせました。
とにかく凄いスピードです。
一部屋片付いたところで10分休憩


汗だくになりますが、止まると急に寒くなる。
リーダーから、『飲み物には口をつけないでまず口に含んでうがいしてから飲むように』と、ここでも安全管理の徹底ぶり。

どうやら解体作業の現場責任者のなんだかかんだかの資格を持ってらっしゃるようです。
どうりで…
さて、床板、そして床板を支えていた梁まで外し、中の泥だしが楽になります。
と言ってもあまり泥が無い。おそらく、入り口に草などが詰まってそれほど中に水が入らなかったと思われます。

土嚢に詰めて、縛って…懐かしい作業です。
そうこうしているうちに午前の部終了。

作業中は汗だくなのに止まると寒くなってしまうのでこの季節は注意が必要です。

午後は1時から。
今度は残った部屋の泥出し。こちらもそれほど無い。

そうこうしているうちにリーダーがサテライトから消石灰を2袋持ってきたようです。
これをまずは床下にふりまき乾燥させる。

あれ、オスバンの消毒はいつだっけ…忘れてしまいましたが。
ちなみに、消石灰が目に入ると大変なのでばらまく際にはできればゴーグルが必要です

ガチ勢の活躍で2時には作業が終了し、みんなで掃除をします。
誰も何も言わないのに、黙々と泥を落としたり、家の中に入った土などを掃除する
玄関先、庭の枯れ木まで掃除している。
今日のチームは凄いなぁ…

女性が多いとやっぱり細かいところにまで気を遣って下さるのでいいなぁ

自分は掃除をしながら家主のじいちゃんと話をします。
被災された方々は誰かに話をすることで気が紛れたりするものです。
5分で水がきて、すかさず2階に上がったこと。ヘリコプターで近隣の人が救助されてるのを見ていたということ。車はダメになった。車屋にどんなのでもいいと言ったら持ってきてくれた。(ちょっと大丈夫な車なのかは謎ですが…車検的な)話し出すと止まらない。

なんと、じいちゃん、若い時に横浜の港北区に住んでいたと。
若い時20代から20数年いたそうです。
自分の職場も港北区なので思わぬ偶然に花が咲きます。
あのころは、景気良くてさ…六本木のクラブに接待されて…
好きなの飲めと言われて指さしたら、間違ってその一段上の一本17万のボトルが来て飲んじゃんったよ、とか。自ら「もう俺、ブイブイ言わせてた」とか言っちゃってます。
今はなき、よき平成のバブリー。
話してるじいちゃんの笑顔を見ていると疲れなど吹っ飛びます。
でも最後、みんなが撤収するとき、寂しそうに、『また来てよ、涙でちゃうんじゃねぇか?』って自分たちが見えなくなるまで見送ってくれたじいちゃん。最後は深々とお辞儀してくれた。これからも元気でね!

2時半にサテライトに戻りバスでVCに戻ります。
手洗い、うがいの励行、靴も消毒
実は高校の友達の某地元有名新聞社K新報社に勤めるりゅうたくんが発災直後に泥かきをやって腰を完全にやっちゃったようです。

そのころに比べたら、今はもうだいぶ片付いた…とのことですが、まだまだニーズはありそうです。
そうそう、ここにきて気づいたこと、そして嬉しいのはこんな「片田舎」と言うつもりはないのですが、決して仙台市街地からは近くないこの場所に多くの若者が来ているということ。バスでどっかの野球部が来ていたり、大学生も。お母さんときた若い子も。若い世代がボランティアに来てくれるってなんか嬉しい。そういえば今年20になる教え子も『やりたい』と言ってくれてる。

とはいえたくさんの人が来てくれて、いくら床板剥がしをしても、それで作業は終わるかもしれないけど、家主さんが本当に大変なのはここからだと思います。直して住むのか、リフォームか、建て替えるか、はたまた取り壊すか…

粕川は今、町が移転を推奨しているようで、残りたいと思う方と意見が割れているという話も聞きました。
家を建て直したりしてもまた大規模な災害が発生する可能性は強い地域で、
数年前に同じように川は氾濫しているので、おそらくまた次も…
という感じなのでしょう。

そういえばココイチの1000円分の食券頂きました。
1000円もいいの!!!?

全国で使えるそうです。横浜のウチの近くにも鶴見店があるので行ってみようっと。
ココイチは災害が発生するたびにこういう形で支援をしてくれる。
ありがたい。

あ、温泉にも無料で入れるようですよ~

ひしゃげたフェンス




新しい畳が被災したのか、被災した畳が集められたかは謎


救助が必要なのでしょうか?

川に近い地域はこんな感じです
ひっさびさに実家のカッパ着たらポッケの中が溶けてました